出川のお約束と裏切り


昨日放送された「やりすぎコージー」。ひさしぶりにめちゃくちゃ面白かった。
業界視聴率の高い番組の2大巨頭じゃないかと思える「アメトーーク」のメンバーと、ゲームで対決するという企画。


この2番組、制作局が違う(テレビ東京テレビ朝日)ので、なかなかに画期的な取り組みだと思う。経緯はよくわからないのだけど、ずいぶん前に、雑誌「Quick Japan」で両番組のプロデューサーが対談していたのがきっかけなのかもしれない(淡い記憶なのでなんともいえない…)。


番組全体を通じて面白かったのだけど、クライマックスを迎えたのは番組後半にさしかかったころのことだった。

両方のチームから代表者が1人ずつでてきて、じゃんけんをするというもの。じゃんけんといっても、「軍艦、軍艦、沈〜没」といって、同じものを出したら負けというやつです(グーが軍艦、チョキが沈没、パーが破裂。知ってますか…?)。

ここで、満を持して登場してきたのが
 ・やりすぎチーム:千原Jr
 ・アメチーム  :出川哲朗

すっごいゆったりしたペースから始まり、いきなり出川が噛むという高齢とも思えるような出足ではじまった(この時点でもかなり笑った)。


で、ようやく本勝負。
最初のじゃんけんを千原Jrが勝利し、「軍艦、軍艦、沈〜没」といってチョキをだす。しかし、出川はグー。セーフ。

で、今度は出川が、「軍艦、軍艦、軍〜艦」といってグーをだす。このとき、千原Jrはチョキ。セーフ。そして、またまた出川が、「軍艦、軍艦、軍〜艦」といってグーをだす。このとき、千原Jrはチョキ。セーフ。さらに、またまた出川が、「軍艦、軍艦、軍〜艦」といってグーをだす。このとき、千原Jrはチョキ。セーフ。

で、このくだりを何回かくりかえしたところで。

出川、「軍艦、軍艦、沈〜〜〜〜〜没!!!!!!!」と大叫びしてチョキを出し、千原Jrもチョキをだしていた。ということで、出川が見事に勝利した。うまい。







という話ではない。


この流れは、あきらかに「軍艦、軍艦、軍〜艦」を続ける流れだった。で、だんだんとみんながそのリズムに乗って踊っていくという「お約束」の流れだろう、と。
※このあたりは、宮迫が後追いで解説的なコメントをいれていたので、わかりやすい。

ところが、それを「裏切り」で流れを無理やり変えて勝利をもぎとった出川に大爆笑したのだった。どこまで狙っていたのかはなんともいえないが、はた目からは天然から生み出した感じがうまいことでていたので、より一層に面白かった。

しかも、何よりも面白かったのは、出川が「沈〜〜〜〜〜没!!!!!!!」」と叫んだ瞬間のまわりの芸人たちの表情。


「えっ…? なに…?」


という困惑の色合いがあらわれた表情になり、みな一瞬動きが止まっていた(笑)
じゃんけんに負けた千原Jrも同じ様子だったし(笑)



いやぁ、本当にしょうもないくだらない出来事なんだけど、こういうのは面白い。あのまま普通に「お約束」の流れでみんなで踊っていても笑えたとは思うけど、これほどの大爆笑はできなかったでしょう、きっと。やはり、「裏切り」があってこその大爆笑だ(^_^



このあたりは、「さすが出川」という印象だった。同じことをやっても受けないタイプの芸人はけっこうたくさんいる。品川とか土田がやっても、ここまでは爆発しなそうな気がする(何か考えがあってそうやっていると思われてしまうんじゃないかと思う)。

ダメ扱いされることの多い出川だけれども、この人の面白さを誤解してはもったいない。

以前、ウンナンか誰かが出川のことを「ハプニング芸人」と評していた。まさにという感じの表現だと思う。この人が何かすると何かが起きる、そういう期待感をもてるし、しかもそれがどうしようもないアホなことなんだけど、憎めない天然ぽさをふりまいていることで、ポジティブな大爆笑を巻き起こしてくれる。


ちょいちょい体を悪くしている様子を見受けるのだけれど、体を大事にしつつ、体を酷使するような笑いも含めて活躍を続けてほしい(^_^


アメトーーク! DVD 4

アメトーーク! DVD 4

アメトーーク! DVD 5

アメトーーク! DVD 5

アメトーーク! DVD 6

アメトーーク! DVD 6

ドロップ

品川庄司の品川が監督した作品。目・耳にする評判がけっこう高かったので、ちょっと期待感をもって観に行った。実際に見てみて思ったのは、期待の持ち方が違ったなぁということ。映画としての出来の良さに期待を持っていたのだけど、実はもっと違う部分がこの作品の良さだった。

鑑賞していて驚いたのは、観客の反応の多さ。これが、おそらく監督品川が狙っていたことなんじゃないかと思う。この作品、おそらく多くの人が錯覚したと思う。それは、リビングで見ているような感覚。ストーリーが進んでいく中で「つっこみ」を入れたくなるシーンが多いのだ。実際、他の映画では考えられないくらい「観客の声」が多く聞こえてきた。それがマナーの問題ではない、というのが僕の感じたことだった。

これを支えているのが、小ネタの笑いの多さだと思った。しかも、さじ加減が独特。正直、僕はあまり面白いと思わなかったシーンが多いのだけど、観客はかなり多くかつ大きく反応していた。漫才やコントでみるとオーソドックスな部類に入るものなのだけど、映画にすると印象が変わったのかなぁと想像した。

※余談だけど、このことを考えたとき、昨年のM1でNONSTYLEが優勝した理由が少しわかった気がした。

特徴的なのは、突っ込みを長めのセリフにしていること。おそらく、これがわかりやすさにつながり、笑いを起こしやすかったのだと思う。


もうひとつの要素として感じたのが、ケータイ小説っぽさ。話の運び方が、そういう印象だった(僕はケータイ小説自体は読まないので、ケータイ小説原作の映画っぽい展開というのが正しいかもしれない)。これも僕にとってはちょっと違和感の方が強かったのだけど、おそらく多くの観客にとってはむしろ受け入れやすいものなのだと思う。


そんなこんな含めて、映画全体をとおして思ったのは、「ヒットするための作品をつくった」という感じ。そのためのシーンがいくつも織り込まれているような印象も残った。


正直なところ、冒頭シーンでの印象からすると、違う形でもっと面白い作品を残せるんじゃないかと思った。なんというか、漫画のコマ割り的な展開がなかなかに魅力を感じたのだ。オープニング以降は、ストーリーとその感じがうまく噛み合っていなかったように思ったのだった。




たまたま不良系の2作品を続けてみた。で、あらためて思ったのは、暴力自体には魅力がないこと。喧嘩が悪いことだとはいわないけれども、度を超えたものはだめだ。度を超えたものというのは、「公正さに欠ける」「自分たちで始末できないところまで(人・物を)傷つける」「思いが狭く、薄く、小さい」こと。

この映画を鑑賞した人(特に子供・若者)は、喧嘩の意味するところを、ぜひとも間違わずに解釈してもらいたいと思った。


ドロップ (幻冬舎よしもと文庫)

ドロップ (幻冬舎よしもと文庫)

ドロップ 5 (少年チャンピオン・コミックス)

ドロップ 5 (少年チャンピオン・コミックス)

親友よ

親友よ

クローズZERO2

このあいだ「にけつっ!」でジュニアがタイトルについて怒っていたが(ZEROで?って、絶対やったらだめだろう、と)。1作目がなかなか面白かったので、今回も観に行ってきた。

1作目に続いてこの作品も、喧嘩のアクションシーンは迫力があった。とある批評で「どの喧嘩も同じに見える」みたいなことが書かれてて、わからないでもない。とはいえ、だからといって迫力のある映像であったことには違いない。リアルな喧嘩ではなくて、あの世界観で繰り広げられる喧嘩とはこれだ、という感じ。

喧嘩の始まりのとき、相手に向かってダッシュで突っ込んでとび蹴りをぶちかます。ものすごい大ぶりのパンチやキック。ちょっと描き方を変えるとファンタジーに見えそうな動きなのだが、男くささと血生臭さを混ぜ込むことで、「クローズZERO」の世界観として伝わってきた。

実際のところ、喧嘩の激しさを増すための演出(音、血、傷跡、等など)は必ずしも心地よくない。このあたりは、役者陣の魅力でうまいこと相殺していたのかもしれない。

ちょっと辛かったのは、前作を見ておかないとわからない部分がそこそこあったこと。僕は前作の内容(特に人間関係)をあまり覚えていなかったので、いまひとつ味わいつくせないところが残った。公開から2年経っているものなので、前作との兼ね合いはもっと減らしてあってもよかった気がする。

クローズZERO スタンダード・エディション [DVD]

クローズZERO スタンダード・エディション [DVD]

メイキング オブ クローズZEROII [DVD]

メイキング オブ クローズZEROII [DVD]

クローズZERO2 OFFICIAL PHOTO BOOK

クローズZERO2 OFFICIAL PHOTO BOOK

スラムドッグ$ミリオネア

こんなにドキドキした映画はあまり記憶がない。ドキドキする映画はいくつもあったが、これほどまでに長い時間をずっとドキドキし続けさせられた映画は思い浮かばなかった。

僕がこの映画の存在を知ったのは、アカデミー賞のノミネートの後だった。受賞候補だったというのをきいてはじめて、どういう作品なのか調べたくらい。しかし、そこでストーリーを知った瞬間から、魅力にひきつけられた。

アカデミー賞受賞が決まってから、映画館での上映予告編を目にした。先入観もあったのかもしれないが、予告編でのドキドキやワクワクがこの作品ほどいい感じだったものはなかったように思う。これはきっと面白い、その確信が強まっていくばかりだった。

気になっていたのは、予告編の時点でハードルがあがりすぎてしまい、「本編をみたら…」という展開だった。無い話でもないので、過剰にならないよう少し意識をしたりもした。ただ、事前に耳にする知人の評判もあいまって、ハードルはどんどんと高まった。


そして、実際に鑑賞。その上での感想が冒頭部分。十二分に膨らんだ期待を、見事に超えた作品を目にすることができた。その場での楽しみを最大にしようと、事前知識をできるだけ抑えた。それでも、何かしら耳に入ってきた。エンディングの雰囲気がどんなものかというのを事前に聞かされてしまったときはどうなるかと思った。

でも、そんなこと関係なかった。すべてを知っていても、面白かったといえたと思う。それくらい、魅了された。



この映画の素晴らしさは、鑑賞感にある。僕自身が映画をみるときにいちばん大切だと思っているものだ。感情を揺さぶることや、気持ちのいい感覚を味合わせることも要素ではあるが、もっと全体的なこと。作品全体を通じて、どういう心持の変遷を持つことができ、その後味としてどういう気持ちを残すことができるか。そのデザインすべてが鑑賞感。だからこそ難しいのだけれども、この作品は大いに優れていた。


僕にとって印象深く残った「感情」はふたつある。

ひとつは「切なさ」。特に前半で感じたものだった。
社会の裏と純粋さが交錯する。無垢な属性を持ちながら、悪事に手を染めていく風景。しかも「手に染めていくことそのものが純粋」と思わされてしまう。豊かな暮らしを求め、ただひたすらにリスクあることに手を染めていく純粋な姿は、活発な行動や勢いのある音楽と合わさった上でもなお、切なさに襲われた。

もうひとつは「爽快さ」。この映画の最大の魅力のように思う。これを感じさせる要素はいくつもある。僕がこのまま書くと内容そのものに触れてしまうのであえて省略する(僕自身の記憶からは、おそらく離れることは無いと思うので)。
ひとつだけ書いておくと、学ぶことの爽快感と相通ずるもの。学ぶというのは、つながりを知ること。物語の流れから、この感覚ととても似たような快感を得られると思う。



この物語から思い知らされたのは、学ぶことの意義だ。人はなんのために学ぶのか。突き詰めた先にあるのは「生きるため」だと思う。生きるために学ぶと同時に、生きることで学ぶ。鶏と卵のような関係を生涯を通じて絶え間なく繰り返し続けること、これが人生なんだろう、と。

映画の主人公は、教育機会には恵まれなかった。が、物語を通じて知らされる彼の人生からは、学んできた質や量が劣っているとはとても思えない(かつ、優れているともいわない)。学ぶ内容の違いは、おそらくは、必要とする学びが異なるからだ。明日を生きることそのものを対象とするか、明日をどのように生きるかを対象とするか。

今の社会は、前者と後者の度合いがかけ離れていて、しかも圧倒的に前者が多いのだと思う。社会起業家を中心にこの不均衡をならそうとする動きはあるものの、まだまだこれからのことだろう。
この映画ではこのテーマへの答えを明快にだしていはいないと思うけれども、多くの人に考える機会を与えていることは想像に難くない。

僕自身がこの問題に対して何をするかというのは、まだ何もない。ただ、今年に入ってから特に、こうした話題に向き合う機会がとても増えている。何かあるのだろうという予感があるのは確かだ。



さて、この作品。冒頭に書いたように、本当にドキドキを味あわせてくれる作品だと思う。ストーリーのうまさもあるのだけど、何よりも演出が印象に残った。技術的なことはよくわからないけれども、キャラクターの置かれている状況や心情を、臨場感と俯瞰を組み合わせながら余すことなく伝えられてきたように感じた。

さらに思ったのが、音楽効果の高さ。僕はあまり音楽へのこだわりがない(過剰すぎると感じる傾向の方が高い)。でも、この作品については、音楽があってこその鑑賞感だと思った。映像に合っているというよりも、その効果を明らかに高めるものだったように思う。


他に、役者陣にも驚かされた。僕が覚えている限りでは知っている人はいなかったのだけど、素晴らしく魅力的だった。何よりも驚いたのは、その外観。老若男女問わず、その美しい姿に魅せられた。何よりも「目」に魅力があるように思う。インド系の方の特徴なのかはわからないけど、あの純粋さと怪しさを姉備えた眼力は、強烈なインパクトがあった。



タイトルからすると、「クイズ ミリオネア」のようなショー的・ゲーム的なスリリングさがポイントになる作品と思われてしまうかもしれない。しかし、この作品の魅力は、もっと「人が生きる」ということの本質・根幹にかかわること。痛々しいほどに辛く苦しい現実とともに、奇跡のような喜びや幸せ感があふれています。この両方があるからこそ、人は生き続けるのではないかと僕は思いました。


アカデミー賞8冠はただの宣伝文句ではなく、間違いなくそれに値する価値のある作品だと思います。

スラムドッグ$ミリオネア [DVD]

スラムドッグ$ミリオネア [DVD]

スラムドッグ$ミリオネア

スラムドッグ$ミリオネア

  • アーティスト: サントラ,A・R・ラフマーン feat.マドゥミーター,A・R・ラフマーン feat.ブラーズ&タンヴィー・シャー,A・R・ラフマーン feat.スザンヌ,A・R・ラフマーン feat.スクヴィンダル・シン、タンヴィー・シャー&マハーラクシュミー・アイヤル&ヴィジャイ・プラカーシュ,M.I.A.&A・R・ラフマーン,M.I.A.,A・R・ラフマーン feat.アルカー・ヤーグニク&イラー・アルン,A・R・ラフマーン feat.パラッカル・シュリーラーム&マドゥミーター,ソーヌー・ニガム,A・R・ラフマーン
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
  • 発売日: 2009/04/01
  • メディア: CD
  • クリック: 8回
  • この商品を含むブログ (23件) を見る
スラムドッグ・ミリオネア (名作映画完全セリフ集スクリーンプレイ・シリーズ)

スラムドッグ・ミリオネア (名作映画完全セリフ集スクリーンプレイ・シリーズ)

ツルベ噺2009

笑福亭鶴瓶トークライブにいってきた。最初は落語をやるものだと思っていたのだけど、全編トーク。まあ、そっちを期待していたのだけど、まさかここまでがっつりだとは(2時間ちょっと、ほぼ休みなく話し続ける)。


ライブにいってきておいてなんだが、僕は鶴瓶をそれほど好きなわけじゃない。すごく面白い芸人だと思っているけれども、好みとなると話はちょっと別。話をするときのスタイルが、どんどんと横道にそれていくので、きいていて「で、本線はっ!?」と突っ込みたくなってしまったりするのだった(^_^;

とはいえ、この人の腕が半端ではないことも承知している。「どうだ、すごいだろう!」的な披露の仕方ではないから目立たないけれど、横道にそれながらも観客をひきつけて、さらに笑いも要所要所でとりながら落ちをつける。ここには、かなりの技量が注ぎ込まれている。

ということで、好みとは別に、いっぺんライブでトークをきたいなぁということで、いってみたのだった。



このライブ、ひさしぶりに「ぞわっ!」とする感覚を味わった。いろんな意味で感動して。


ひとつは、話のうまさ。もっとも「ぞわっ」というのを感じた瞬間は話の落ちの部分だった。しかし、話の流れ的に、僕はその落ちが頭に浮かんでいた。「こうなるかなぁ〜…」と頭に浮かべつつ、そうではない落ちを突き付けられるのを期待していた。ところが、落ちは予想通り。

にもかかわらず、「ぞわっ!」とした。わかっていてもそう思わせてしまうトーク運びだったのだと思う(正直なところ、なぜそう感じられたのかは、いまいちよくわかっていない)。照明をいいタイミングで落とすといった演出効果もきいていたのだけど、やはり話のうまさあってのことだと思った。


感動したもうひとつは、笑福亭鶴瓶という人間性
この人、けっこう破天荒な芸風を持っている。今でこそなんか好々爺に向かっていきそうな印象もなくはないけど、本来的にはめちゃくちゃする人だ。暴力はしないけど、無茶をする。

あるいは、つくり笑顔を筆頭に、裏表のあるキャラクターという一面もあるように思う(そういう印象を世間に持たせるようにマーケティングしているというのもあるとは思うが、あながち嘘でもないとも思う(^_^)。

ただ、この人の資質の最たるところは、人柄なのだと思う。人付き合いを怠らないというか。僕自身は面識がないから実感はないのだけど、この人のエピソードをきいているとそう思える。
 ・営業先の地方で盲腸になって手術してもらった医師と、30年来の関係が続いている
 ・60歳前後の兄弟5人と、今になっても仲良くしている(一緒に旅行に行ったり)
 ・突然押し掛けた恋人の実家で、10日間も止まり続けた
 などなど(3つめの話は微妙なところもあるけど(^_^;)。


こうした話をきいていると、けっこうひどい紹介の仕方をしている。笑いをとるために話をしているので、そういうエピソードが中心となる。きき方によっては馬鹿にしているように感じられそうな話なのだけど、きっとそうならない。腹は立つかもしれないけど、「しょうがないなぁ」といって終わってしまうことが多いのだと思った。すべては、人柄によるものなのだと思う。


笑福亭鶴瓶という人物、今回のライブを通じてあらためて感心した(年配の人に使う表現ではないかな…?)。これから主演映画が連続している(ディアドクター、おとうと)らしいので、いろいろな活躍ぶりに注目したいところです(^_^

イエスマン “YES”は人生のパスワード


日常がなかなかうまくいかないジムキャリー演じる主人公が、とあるセミナーに参加したことをきっかけに変わっていく物語。何事にも「YES」と答え続けることを誓約することで、行動が変わり、さらには運命にも影響していくという。

YESということの意義を扱うこと自体は、とりたてて目新しくはないと思う。しかし、この作品のポイントは「ただYESと言えばいい」という様子とそうでない様子のつながりをうまく描いていること。あやしげなセミナーから漂う「うさんくさいポジティブ」が正しくないことを理解することができると思う。


で、映画を見て思ったこと。

最初に思ったのは「YESと言うことの評価」について。
「YESマン」というと、昔はすごい悪いイメージの象徴として使われていたと思う。自分の意見を持たないというか、サラリーマン的サラリーマンというか。虎の威を借る狐のごとく、社会を渡り歩いていく「ごますり男」というか。しかも「NOといえる日本人」のような、NOと言えることがよしとされる価値観もあったように思う。この両方があいまって、「YESマン」の印象の悪さが確立されていたのかもしれない。

しかし、今の時代、「YES」と言えることが求められている。「できないといわないこと」がとてもとても大きく評価される時代となった(「できないと言わない=YESマン」ではない部分もあるのだけど…)。僕自身は「YESとNOの良し悪し」はあまり気にしていない。ただ、この数十年の間に、ずいぶんと違う角度から評価されるように変わったんだなぁと、しみじみと思ったのだった。

※とはいえ、実生活で「YESマン」というと、どちらかというと昔ながらのイメージが浮かぶことの方が多いかな。



もうひとつ思ったのが、「YESは人(社会)の性善性」ということ。これ、映画をみていて「世の中が『なにごとにもYESと答える』ことで成立していたらどうなるだろう?」と考えたときに浮かんだもの。

こうした社会が成立するためには、少なくとも「YESといわれることを悪用」されない状態が必要だろうと思った。だまされることがわかっていたり、そうした心配が消えない限りは、すべてに対してYESと答えることは難しい。もし答えることができたとしても、それでは幸せな世界にならないだろう、と。

でも、もう一方で思ったのは「もし、本当にYESとしか答えない世の中になっていたら、悪用する人がいなくなるのでは?」と思った。あまり根拠を挙げることなく到達した考えなのだけれど。YESで埋め尽くされた世界は、性善説に基づいた社会ができあがることが期待できるんじゃないかと思ったのだった。

そう思った背景の一つが、「薄氷の踏み方」という書籍でふれられていた「人生の税金」という考え。得たいと願ったものが手に入ると、それに相応する還元が必要というもの(還元が適切に行われない場合は、災難を被るというのも含まれる)。何事にもYESと答えることは、この「人生の税金」を支払っていることにつながりそうな気がしたのだった。



現実問題として、今の世の中が「YESと回答するだけで成り立つ」ように変わることはないと思う。さらには、(上で書いたことと矛盾はするけど)YESと答えるだけの社会が望ましいものでもないだろうとも思っている。人間社会は、YESと言わないことで発展してきた部分もあると思うので。

ただ、今の世の中ほど「NOと言いたくなる・言わざるを得ない」場面が多いのも、好ましくないなぁと思う。安心して「YES」と言い合える関係を、もっと強く大きく。現在の超情報流通社会(の行く末)は、こうした姿に意外とマッチしているんじゃないかと思った。



ちなみに。僕はジムキャリーの演技がちょっと苦手(過剰なコメディ色が食傷気味になるので)なのですが、この作品での演技は「さすが」と思わせる場面がいくつもあった。特に、冒頭のシーンでの演技はおもしろかった。あれは、ジムキャリーならではという感じがするおもしろさだった(^_^


この映画を鑑賞した後、きっと「YES!」といってみたくなると思います。そしてそれは、観る前に思う「YES」とはちょっと違っているはず(^_^

ロンブー淳

今日の「久米宏のテレビってヤツは!?」に出演していた。

最近、新聞への寄稿や自身のラジオ番組で政治を扱ったりしているらしい。しかも、本人曰く「ニュース番組をやりたい」とのこと。僕の(というか世間の多くの人が思っていると思うけど)淳に対するイメージが、もともと「島田紳助に似ている」という感覚だった。なので、この展開は順当かなぁと思った。


ロンブーというと、僕が学生の頃にテレビに出演しはじめた。ロンブーについて僕が記憶している最初の番組は、よしもとの深夜番組。ここで「BINTA」という企画をやっていたことだった。女性とカード対決(確率が半々)をして、女性が勝ったら10万円、ロンブーが勝ったらビンタをされるというギャンブル(笑)
しょうもない企画だったけど、すごい面白かったのは確か。

で、この企画で一気に駆け上がっていったように感じた。このあと、「ガサ入れ」やら「スティンガー」やら、ロンブーならではの企画を着々と生み出していって、今のポジションを築いていったのだと思う。今でこそオリラジが最速出世みたいに取り上げられているけれども、ロンブーも当時としては類をみない早さで、しかも新しいルートでの出世だった。

一方で、プレイヤーとしての面白さは判断しづらい。これだけのポジションにきた割に、テレビでネタをやったことがすごい少ないのだ。これ、ロンブーの特徴でもあり、凄さなのだと思う。プロデュース力というか、世間が何を観たいのかと察するのと、それを実際に示す度合いのさじ加減がものごい絶妙。「ついつい観ちゃう企画を生み出す能力」と「番組の進行能力」は郡を抜いているようにも思う。



で、そんな印象の淳(ロンブーと書いたが、亮に対してはまた別な感想なので)。今日の番組をみていて、またちょっと印象が変わった。あらためてその資質というか素養に感心してしまった。番組で話している様子全般を通じていろいろと思うところがあったのだけど、特に印象に残ったことがいくつかある。


ひとつは、麻生総理の漢字の間違いについて。
「世間のニュースでは、漢字の間違いをただひたすらに取り上げていた。でも、ニュースとして本当に取り組む価値のあることは『漢字は間違えちゃったけど、そもそも総理がいいたかったのはこういうことですよ』というのを示すことなんじゃないの?」という発言。あわせて「漢字がどうこうよりも、政策がどうなのかを論ずるべきなんじゃないか」と。

これはまさにそのとおりだと思う。漢字を間違えたことを報道すること自体は構わないと思うのだけど、それに注力しすぎだと感じる。報道側の言い分としては、おそらく「そうしないと世間が観ない」という回答が帰ってきそうな気がするけど、「世間が観たくなるニュースをつくれない言い訳じゃないの?」と思ってしまう。

門外漢の淳がいったこの言葉は、当事者にとってはかなり重いものとして受け取ってほしい。重いと同時に、これからの報道のあり方(というか、提供するべき価値)にたどり着くきっかけになるようにも思う。


もうひとつは、番組作りに対する意識。
まず「生放送は好きではない」ということ。淳曰く「30分番組でも、2時間くらい収録したい。その上で、面白い30分を構成して伝えたい」。面白いといっているのは「ゲストの人柄がわかること(そういう一面があったのね、と思ってもらえること)」を指しているとのこと。生放送だと「時間内に終わらせる」への意識が強くなりすぎて、本当に伝えたいことが曇ってしまうのがイヤとのこと。

これとあわせて「出演者に対しては、その人がいちばん聞いて欲しくないことはきかない」というポリシーについても語っていた。こうすると、その人が本業にもどったとき「あの番組いいよ(嫌なツッコミがなくて)」という評判がまわっていって、いろんな人がきてくれるようになるというのを意識しているらしい。

「嫌なことをきかない」というのは、僕の印象ではまったく逆のイメージだったので、ちょっと驚いた。ただ、理由をきいてみると、確かに淳らしいようにも思った。彼の視点は、常にプロデューサーなのだと思う。ゲストも視聴者もスポンサーもスタッフも、みんなの幸せがいちばん大きくなる手法がそうした考えなんだろうと思ったので。



ま、そうはいっても、僕自身のロンブーへの思い入れはそんなに大きくないのだけど(^_^;

ただ、淳がニュース番組をやるといったら、見るかな。きっと他のニュースでは見られない面白さが詰まっているだろうとは思う。