イエスマン “YES”は人生のパスワード


日常がなかなかうまくいかないジムキャリー演じる主人公が、とあるセミナーに参加したことをきっかけに変わっていく物語。何事にも「YES」と答え続けることを誓約することで、行動が変わり、さらには運命にも影響していくという。

YESということの意義を扱うこと自体は、とりたてて目新しくはないと思う。しかし、この作品のポイントは「ただYESと言えばいい」という様子とそうでない様子のつながりをうまく描いていること。あやしげなセミナーから漂う「うさんくさいポジティブ」が正しくないことを理解することができると思う。


で、映画を見て思ったこと。

最初に思ったのは「YESと言うことの評価」について。
「YESマン」というと、昔はすごい悪いイメージの象徴として使われていたと思う。自分の意見を持たないというか、サラリーマン的サラリーマンというか。虎の威を借る狐のごとく、社会を渡り歩いていく「ごますり男」というか。しかも「NOといえる日本人」のような、NOと言えることがよしとされる価値観もあったように思う。この両方があいまって、「YESマン」の印象の悪さが確立されていたのかもしれない。

しかし、今の時代、「YES」と言えることが求められている。「できないといわないこと」がとてもとても大きく評価される時代となった(「できないと言わない=YESマン」ではない部分もあるのだけど…)。僕自身は「YESとNOの良し悪し」はあまり気にしていない。ただ、この数十年の間に、ずいぶんと違う角度から評価されるように変わったんだなぁと、しみじみと思ったのだった。

※とはいえ、実生活で「YESマン」というと、どちらかというと昔ながらのイメージが浮かぶことの方が多いかな。



もうひとつ思ったのが、「YESは人(社会)の性善性」ということ。これ、映画をみていて「世の中が『なにごとにもYESと答える』ことで成立していたらどうなるだろう?」と考えたときに浮かんだもの。

こうした社会が成立するためには、少なくとも「YESといわれることを悪用」されない状態が必要だろうと思った。だまされることがわかっていたり、そうした心配が消えない限りは、すべてに対してYESと答えることは難しい。もし答えることができたとしても、それでは幸せな世界にならないだろう、と。

でも、もう一方で思ったのは「もし、本当にYESとしか答えない世の中になっていたら、悪用する人がいなくなるのでは?」と思った。あまり根拠を挙げることなく到達した考えなのだけれど。YESで埋め尽くされた世界は、性善説に基づいた社会ができあがることが期待できるんじゃないかと思ったのだった。

そう思った背景の一つが、「薄氷の踏み方」という書籍でふれられていた「人生の税金」という考え。得たいと願ったものが手に入ると、それに相応する還元が必要というもの(還元が適切に行われない場合は、災難を被るというのも含まれる)。何事にもYESと答えることは、この「人生の税金」を支払っていることにつながりそうな気がしたのだった。



現実問題として、今の世の中が「YESと回答するだけで成り立つ」ように変わることはないと思う。さらには、(上で書いたことと矛盾はするけど)YESと答えるだけの社会が望ましいものでもないだろうとも思っている。人間社会は、YESと言わないことで発展してきた部分もあると思うので。

ただ、今の世の中ほど「NOと言いたくなる・言わざるを得ない」場面が多いのも、好ましくないなぁと思う。安心して「YES」と言い合える関係を、もっと強く大きく。現在の超情報流通社会(の行く末)は、こうした姿に意外とマッチしているんじゃないかと思った。



ちなみに。僕はジムキャリーの演技がちょっと苦手(過剰なコメディ色が食傷気味になるので)なのですが、この作品での演技は「さすが」と思わせる場面がいくつもあった。特に、冒頭のシーンでの演技はおもしろかった。あれは、ジムキャリーならではという感じがするおもしろさだった(^_^


この映画を鑑賞した後、きっと「YES!」といってみたくなると思います。そしてそれは、観る前に思う「YES」とはちょっと違っているはず(^_^