天才になりたい

いままでに何度となく頭に浮かび、頭をよぎってきたこのフレーズ。
そして、南海キャンディーズの山ちゃんこと山里亮太が書いた本のタイトルでもある。


この本、思いのほかよかった。ただ、きっと人によって受け止め方に差がでると思う。
自分に自信がない(足りない)とか、悩みを抱えている人にとっては、何かしら得られるはず。もちろん、「天才になりたい」と思ったことがある人も。



印象に残ったこと、感じ取ったことをまとめておきます。


凡人が天才になろうと思っているうちに、「なったかのように錯覚する」ことに摩り替わってしまうことがある(というか、多いのだろう)。そうした方向に流れてしまうとどうなるか。


山ちゃんは自身の経験から

 ●偽の自信を得る代償
  ・自分以外の誰かを下げることで優越感を得ようとする
   (でも、それは何にもつながらない)
  ・自分が尊敬する人から認めてもらえない
   (その情けなさを痛切に感じる)


 ●自分を見失っている
  ・自分がやりたい笑いが何かときかれても答えられない
  ・みんなが笑いそうな公式を考えてあてはめるだけ


南海キャンディーズとして脚光を浴びる少し前まで、こういう状態に何度も陥ってきたらしい。しかも、そうした状況をしのぐには「張りぼての自信」を持つことしかなかった。そうしてなんとか持たせつつも、心のどこかではそのむなしさを理解している。この相反する状況に苦悩する。
 


で、こうした状況を乗り越えようともがくなかで、つかんだこと。


 ・おもしろいことを要っていたらしい「時々」を思い出す、
  その回数を増やす
 ・普段楽しいとき、笑いが起こっているときの自分を思い返す
 ・いろんな人からの誉め言葉集を思い出すこと
 ・自分が尊敬する人に認めてもらえる
  (そこから得られるエネルギーの凄さ)


こうした振り返りの結果、自分が楽しくて生きる「ポジション」「スタイル」を見つけることができたらしい。


興味深かったのは、過去の失敗(と認識していること)が、現在の強みにつながっていること(山ちゃん本人はそのようには書いてないけど、僕はそう感じた)。
たとえば、「面白いと思われそうな言葉を探してきて、公式に当てはめる」というもの。この作業自体は本人もいっているとおり、芸人としては芳しくない(成長につながらない)行為。でも、この試行錯誤を相当に繰り返して得た「言葉の引き出し量」と「選び出すセンス」が、今の山ちゃん独特の突っ込みにつながっていると思う。そうでなかったとしたら、彼は天才のはず。



僕も彼がはまってきた罠と同じようなものにはまっている。きっと。
そのまま罠にひっかかってしまうのは避けたい。あらためていろいろと探ってみることにします。