「ブタがいた教室」

とある小学校で、「1年間ブタを飼育して、最後に食べる」という教師の発案からはじまった授業(といっても、課外授業)を描いた作品(もともとはドキュメントだったらしいのだけど、この映画では原作を基にしたフィクションになっている)。予告編を観たときから気になっていたもので、もうじき公開期間が終わってしまうのを知ってあわててみにいってきたのだった。

この映画、思っていた以上によい作品だった。予告編で抱いていた感覚ともずれていなかった上に、描かれ方も結論も、僕が想像していたものを上回る内容になっていたと思う。


この作品、物語の軸となるのが「いま自分たちが飼育しているブタは、何なのか?」というもの。興味本位・かわいさ本位で飼い始めるものの、次第に大きな現実と向き合わなければならなくなる。自分たちが卒業するに当たって、ブタをどうするのか、ということに。

さらに難しいのは、その選択は「いざとなったら、選択しなくても構わないといえてしまう」状況で行わなければならないということ。映画「生きてこそ」のような、最期の最期まで追い詰められた段階ではない。決めないままにやり過ごしていくこと、先生や親といったまわりの人たちに投げてしまうこと、逃げようと思えば逃げられる。そんな中で考えなければならない。

この難問に、小学生たちは直面させられる。教師に答えを与えられることなく、自分たちが考えに考えて、意見をたたかわせあって結論をだそうとする。そうして議論している姿は、子供ながらになかなかに立派なものだった。話しぶりや議論の展開は子供の様相を漂わせていても、その場にあがっている論点はどれも正しいと思った。
※「映画だから」といわれるとそれまでなのだけど…。


子供たちが考えなければならないのは、目の前にいる愛くるしい存在の未来。良いことも嫌なこともともに味わってきた十二分に情の移った仲間。この仲間の行く末を自分たちが決めなければならない。しかも、それは正解のないもの。

考えれば考えるほど、「どう決断をくだしても、何かしらの遺恨が残ってしまいそうな選択」を決めなければならないことに気づかされる。もっと簡単に「自分たちが処分する」以外の選択肢(動物園に引き取ってもらう、とか)が見つかりそうに思っていたものが、実はとても難しいと現実をも思い知らされる。


子供たちは、小さな体にはにつかわない程に大きなうねりに飲み込まれていく。頭ではわかっていても、心がついていかない。感情では選択の余地がないけれども、現実には程遠い。「どこまで続いているのかわからない希望めいた光」と「暗闇に続くけれども確かに存在している道」、どちらかを選ばなければならない。

そんな苦しい中でなんとか自らの意見を導き出し、互いの意見を戦わせ合う。自分自身の感情と理屈が相反する状態で必死に振り絞っている上に、相手の主張も十二分に理解できてしまう。話せば話すほどに、悲しみと苦しみが増し、走馬灯のように思い出がよみがえる。


子供たちは、最後の最後まで必死に考え抜き、答えをだしました。その答えが正解なのかどうかは、僕にはわからない。本人たちにとっても、ずーっとわからないままなんじゃないかと思う。でも、決して間違いではなかったといえるものだった。少なくとも僕は、そう信じる。


この映画、実話を元にしているとのこと。僕は、こうした授業が行われたことは、十分に評価を与えられるものだと思う。こうした取り組みを決めた先生方、実際にやりぬいた子供たち、それを見守ったまわりの人々、すべてに尊敬の念をささげたいと思います。


この作品。小学校が舞台ですが、大人が考えるのにも十分に耐えるテーマを扱っていると思います。現実の授業が行われたのは15年ほど前らしいのですが、現在に生きる我々にこそ、より考えるべきテーマが盛り込まれています。鑑賞する価値は十分にある映画です。