ガリレオ 容疑者Xの献身

テレビドラマシリーズの映画版。こういうタイプの映画は、外れる可能性もあって、ちょっと不安があった。とはいえ、ドラマを見ていたのと、先日放送されたスペシャル版を観たこともあって、観にいくことにしたのだった。
※ドラマ自体、意外と好きだったので。


観終わって思ったのは、意外と面白かったということ。というか、いい作品だったと思う。
少なくとも、ただのドラマの延長ではなかった。ドラマで培われた要素は引き継ぎつつ、ドラマではうまくなかったなぁと思われたことが解消されていたように思った。


冒頭シーンでは、ドラマの延長になりそうかな、という印象を抱いた。これは、ちょっと期待には届かないかな、と。ドラマで僕が苦手だったのは、不要な演出。特に科学実験のシーンと、そこに至る解を導き出す場面(数式を書き連ねるところ)。内容としては悪くないのに、このふたつが盛り込まれることで、妙に胡散臭さが増していたように感じていたのだった。冒頭のときには、これに近いかな、という印象が残った。

しかし、それはすぐに解消されていった。このあとのシーンは、映画として鑑賞に堪えられるつくりになっていると思った。



この作品、なかなか深い。ドラマと同じ感覚で見に行くと、ちょっと面食らう。

僕が感じたことは、「思いやる」ということ。

人は、人に対して「思いやる」気持ちを持つことで、あるいはそういう気持ちを受け取ることで、さまざまに感情を抱き、行動を促される。自分自身への思いはとても大事だけれど、大切な相手に対して向けられたその思いは大きな力を双方にもたらす。

でも、「思いやる」とひとことでいってしまうと、実はかなりわからないことが多い。何をもって「思いやり」というのか。

ぱっと頭に浮かぶのは「相手のために何かすること」といった表現が思い浮かぶ。でも、それが本当に相手のためになるのか?
即時的・即物的に相手のためになることだけど、その先に不幸が待ち受けてしまう可能性もある。あるいは、自分が思う「思いやり」は相手にとってそう感じ取られないものかもしれない。極端なことでいえば、人身御供は思いやりなのかどうか。思いやりのために発生した罪は、思いやりといえるのか。

物語の中では、あらゆる関係性を通じた「思いやり」が描かれている。それは、自分自身であり、直接的な関係性を持つ相手であり、社会に対してでもある。利害が一致することもあれば、相反することもある。しかも、同じ関係の中でも、利害が一致することとそう反することが入り混じる。
法、社会、相手、自分。いくつもの利害の軸に加え、感情では割り切れない。

これは、この物語のような特殊に状況に限らず、日常を過ごす中でも度合いの違いこそあれ味わうものだと思う。

思いやりに相当する感情を抱いたとき、その思いやりによって「誰に対して(どこまでの影響範囲で)、どういう結果をもたらしたいのか」を考えること。打算的な印象も受けるのだけど、思いやりを少しでも価値のある結果に促す大切なことだとあらためて思った。



さて、この作品、物語の出来そのものにも感心した。
まず驚いたのは、スト-リー展開。ドラマのように、軽い感じで、ちょっとした無理は解消することなく推し進めてしまうのかと思っていた。でも、映画ではそんなことはなかったように思う。
ひとりひとりの葛藤には共感できたし、感情の機微や関係性の変化も、物語り全体を通じてうまく流れていたように思った。

また、トリックもしっかりしていたと思う。
トリックの謎解きで「あぁ〜っ…」とうならせる喜びを狙うのではなく、納得性の高いトリックをつむぎ上げたこと。そして、それを鑑賞しながら実感できるように、適切にヒントを与えたこと(伏線を少なくすることでトリックを難解にするようなことはなく、過剰に出しすぎて興ざめさせるようなこともなく)。

よく練ってつくられた物語だなぁ、と感じたのだった。これが、期待を超えたいちばんの要素かもしれない。



ドラマを観ていなかった人にとっても、鑑賞できる映画だと思います。ドラマを前提にしたシーンや展開は、それなりに抑えられているので。
映画としても、なかなかに良い作品でした。特に、人とのつながりをあらためて見つめる機会となると思います。