パコと魔法の絵本


いい映画です。泣けるタイプの作品だと思います。
予告編やCMを見ると、微妙にイロモノ的な印象を受けた部分もあったのですが、後味はそうではなかった。僕も鑑賞していてうるっときました。


鑑賞終わり近くになったとき、ひとつのことを考えていた。

「なんで、こんなに哀しく感じるのだろう」と。


けっこうドタバタな内容だし、ちょいちょい繰り広げられるネタもベタなものが多い。各出演者や背景の雰囲気も、ファンタジーの度合いを超えて過剰な現実離れ感もしてくる。
しかも、泣けることにつながりそうなストーリーは、かなりオーソドックス。展開は想像できるものだし、ちょっと斜に見ていると「これは恣意的だな」と感じられるような部分さえある。
にもかかわらず、うるっときた。


たぶん、
 ・純粋無垢な存在を守りたいと思う
 ・どうせ失われるものであれば、愛情のために代償として注がれることを望む
 ・どれほどに全力を尽くしても、力が足りないもどかしさほど辛い
ということからきているような気がする。

また、扱っているテーマが「人として生きる」ということに関連していたことも大きい。人らしく生きるとはどういうことなのか。本能と社会性、時を重ねることと失うこと、技術でできることと心のふれあいによってできること、などなど。
物語で巻き起こることは、日常生活で身近に起きる可能性もある。場合によっては、度合いの極端さを緩めると、普段から接しているようなことがたくさんあてはまりそうな気がする。人として生きている、そう言い切れるふるまいができているかどうか。


自分が、この物語の登場人物のいずれかになったとき、どういう選択をしただろうか。彼らのように、目の前に突きつけられた壁を越えることができただろうか。自分が触れたくない自分自身の奥底に入り、表に出し、自他共に望ましい自分を手に入れることができただろうか。人のために心から尽くすことができただろうか。

少し他人任せな考えになるのだけど、分岐点となるのは出会いにあるように思った。自分自身に視線が向いている状況を変えたくなる、変えざるを得ないような人と出会えるかどうか。この人のために何かしてあげたい、心の底から強烈にそう思えること。
V字的な変化を遂げるには、不可欠なことなのかもしれない。視線の先がつねに自分ではなくなるような、そういう関係をつくれる相手と出会うこと。人として社会に生きていくなかで、とても大事な要素なのだと思った。



さて、この作品。出演者がなかなかに素晴らしい。
特に印象に残ったのは、子役のアヤカ・ウィルソン。演技がどうこう以前に、その存在感が面白い。事故で一日しか記憶が残らない少女という役を、あふれだすような天真爛漫な雰囲気でこなしていた。大人びた顔立ちに、子供の純粋さを感じさせる表情や言動をあらわす演技が、この作品の印象にとても大きく影響していたと思う。

もちろん、他の役者陣もよかった(^_^



この作品、観るまえに「難しそうだなぁ」と思っていた。それは、現実と非現実の切り替え(混在)からきているだろう、と。各役者が演じている映像と、役者がCGに切り替わるところ、あるいは背景が現実の風景(セット)とCGで切り替わるところ。これ、人間の頭が実際にやっていることにかなり近いはずなのだけど、実際に映像として示されるとけっこう難しいと思っていた。

実際に見てみると、僕自身の感想としては、想像よりはわかりやすくなっていたと思った。切り替えがこの作品の面白さを生み出す魅力のひとつとして、うまくできていたと思う。ただ、万人にわかりやすくなっているかというと、僕にはよくわからなかった。こういうつくりに慣れていない人にとっては、どうだったんだろう。
このあたりは、客層とのマッチングしだいだと思うのですが、実際に映画館に足を運んでみた感想からすると、うまくいっていなかったような気がする。このあたりは、明日の日記に書きたいと思います。


正直、ドタバタが多かったり、ちょっと毛色の特殊な過剰なファンタジーであったり、笑いの要素がベタであったり、必ずしも好みの作品ではなかった。物語の内容も、想像もつかないような衝撃的な展開だったわけでもない。
でも、うるっときた。これは、けっこうスゴイことだと思った。たぶん、観る人が観たら、泣けると思います。この映画を観て、ジーンと染み入る感覚をもてなかったら、相当に達観した人か、純粋さを過剰に失ってしまった人のどちらか、といってもいいかも(^_^

好き嫌いありそうなのですが、舞台(特に小劇団)を毛嫌いしている人でなければ大丈夫だと思います。