おくりびと

最近話題の映画「おくりびと」を鑑賞してきました。

以前から映画館で観ていた予告編や、各種宣伝などなどいろいろと作品に関する情報は耳にしていました。モントリオール映画祭グランプリを受賞されてからは、それがさらに入ってきやすくなったので、意識的に入り過ぎないように抑えて、過剰な先入観を持たないように気をつけていました。

鑑賞したあとは、期待に見合うとても素晴らしい作品だと思いました。この作品は、多くの日本人に見てもらいたいと思える、そんな内容でした。


ここでは、映画を通じて僕が感じたことを書き留めて観たいと思います。


■生きるとは「与え、与えられる」こと

人は生きていく中で、たくさんの出来事に出会い、積み重ねていきます。こうした経験の中で、自分の持っている資産や能力をまわりに与え、また、まわりからそうしたものを授かる。それは、人間同士の交流に限らず、生命間、あるいはもっと大きな範囲と交わしているのかもしれません。

生物にとって、与えることができる最後のものは「生命」ではないかと思います。それは、因幡の白兎が象徴となるかもしれません。自分自身にできうるものを探し続けたとき、最後にたどりつく提供資源は、生命そのものなのではないか、と。

「生きる」ことは、こうした「与え・与えられる」関係性に支えられてはじめて成立するものだと思います。もう少しちがった視点で表現すると「奪い・奪われ」となるのかもしれません。生きるためには、何かを得る必要があり、そこには何かの犠牲がある。こうしたある種残酷なつながりを持ちながら、はじめて生き続けることができる。
生きるということは、とても大きく重い責任を伴っているのだと、あらためて考えさせられました。



■選択することで、存在意義が定まる

こうした責任を担うためには、それに見合う権利が伴う必要があると思います。人が生きることにおいては、それは「選択ができること」ではないでしょうか。生まれた環境や社会情勢といった制約条件など選択できない要素もあります。しかし、生きるうえでの「与え・与えられる」関係のなかで、選ぶことができる要素は少なからず手にすることができるのだと思います。

この映画では、「楽団が解散してもなお、チェロの夢を追うか否か」「納棺という人の死にまつわる仕事に携わるか否か」といった選択がでてきます。主人公の大悟は、こうした選択の場面にて、選択によって得られるものと失うものと向き合うことになります。いずれも、簡単に選べるものではないし、あるいは「そもそも秤にかけて選ぶものではない」とさえ思ったのではないかと思います。

しかし、そうした難しい選択を乗り越えることで、得られることがあります。それは、気づき。
自分が大切に思っているものは何か、縛り付けていたものは何か。あるいは、関係する人々をより深く理解できること。はたまた、社会のなかで自らが担うことができ役割、果たすことができる責任は何か。
こうして、生きていくうえでかけがえのない大切なものごとがわかるようになるのだと思います。また、自らの存在意義を実感することにもつながっていくのだ、と。



■人は感謝のために生きる

多くの代償、難しい選択が待ち受けるなか、人はなぜ生きるのか。その理由のうち、おおきなもののひとつが「感謝」なのだと思います。

自分が何かの役割を果たすことで、まわりの人々から感謝を受ける。直接的には報酬が動機となるのは事実だと思いますが、より自然に、本質に近い動機は感謝なのだと思うのです。自他共に蔑みを感じるなかで得られる対価は、きっとQOLを高められない。しかし、まずは自らが尊厳を理解できること、そしてその上でまわりから感謝を得られること。生きる喜びの根源は、ここにあるのだと思います。

感謝を授かることの喜びがある一方、人は「感謝するために生きている」という側面もあると思います。自分が生きていく中で得られるあらゆることに対して、感謝を感じ、表すこと。多くの人は、ネガティブな反応を感じたり表したりするよりも、感謝にあふれた生活を望むのではないでしょうか。

現実的には、感謝の気持だけで生きていくのは難しい。人として十分な成熟がなければ、そうした心境・ふるまいはできないかもしれません。しかし、それでも、自分がまわりに感謝できた瞬間には、幸せを味わうことができると思うのです。人生において、こうした機会を得る比率が少しでも高いほうが、QOLが高まるのではないでしょうか。


おくりびと」は、この世に人として存在するなかで、最後の「感謝」をコーディネートする役割なのだと思います。おくりだされる人への感謝として、肉体が存在する最後の瞬間を、最高の姿でおくりだすこと。そして、おくりだす人にとっては、自らの中に残してしまった「おくりだされる人への感謝」をできる限り捧げる機会を提供すること。


生きるということは、大変な困難がつきまとうもの。僕は、この映画を通じて、「それでも、生きる」という意志を感じました。だからこそ、最後を迎えたときには、この作品にでてくる「おくりびと」のように、すべての感謝を込めたおくりだしに見合うのだと思います。



ここでは少しかたい表現が続きましたが、作品自体にはたくさんの良質なユーモアが散りばめられています。それは、作品の質をくずすことなく、観客に心地よく感情の波を伝えてくれるものになっています。

おくりだす機会とは関係なく、普段の仕事やプライベートへの向き合い方、さまざまに示唆が得られる映画だと思います。ぜひ、鑑賞してもらいたい作品です(^_^