この自由な世界で

濃い映画だった。
麦の穂を揺らす風とくらべると、戦争を扱っていない分だけ重たくは無い。それでも、十分に見ごたえのある映画。


最初に驚いたのは、さっと作品に引き込まれていったこと。
冒頭シーンから本題に入るまでは時間の割りに展開が大きい。なのだけど、そこに違和感を感じることはなくて、すっ、と内容に入り込んでいた。
このあたり、DVDで再確認してみたいところ。なんでそういう感覚になったのか。



この作品、移民労働者の人材派遣会社を起業する女性の話で、うまくいったかと思うと、どんどんと問題が突きつけられていく姿が描かれている。それは、仕事に限らず、プライベートでも。
実際に起業すると、こういう苦悩があるのだろうというのは、なんとなくわかる。自分で起業したことが無いから実感としてはもっていないし、作品の舞台はイギリスなので、治安の問題なんかはリアルには想像できないところもある。とはいえ、苦悩を乗り越えるために、人はどういう道に入り込んでしまうかというのは、ロケーションや時代を超えて普遍性があるのだと思った。


それは、おそらくは、「善」や「純粋」だけで社会を乗り越えることが相当に難しいからなのかもしれない。夢や希望をもってはじめたときは、きっと正しいことであるとか望ましいことを軸に考えることが出来るのだと思う。そして、それが働く原動力にもなっている。
しかし、ことがうまくいかなくなったとき、同じようにいられるかどうか。あるいは、目前にある「利」を前に平常でいられるか。


ニュースをきいたり、本を読んでその状況を知ったときは、おそらく揺らがない。「なんでそんなことしたんだ?」くらいのことさえ思う。でも、実際に当事者としてその立場にいなければならなかったとき、どこまでできるか。


法を犯すことになっても稼ぎたいという欲求にかられること、従業員に給料が払えなくなり命を狙われてしまうこと。どうにもできないようなくらい、とてつもなく大きな衝動にかられずにいられるかどうか。


映画にでてくる人物たちは、ゆらいで突っ走ってしまう人、ゆらいだけど踏みとどまる人、ゆらがずに生き続ける人、さまざまに登場する。そして、いずれの選択についても、良し悪しを感じた。



「因果応報」と「挑戦と希望」の繰り返し、積み重ね。そうやって、生き方を学んでいくのかもしれない。ラストシーンまで通して、そう感じさせられる作品だった。



この作品のなかでは、移民という事情が背景にある様子が描かれていて、コミュニケーション・治安・政治といった、とてもタフな環境につながりやすい環境での出来事となっている。日本の一般的な会社員では、非日常的な出来事としても体験しないようなことが巻き起こっている。


でも、出来事の奥にある要素や原因を解きほぐしていくと、身近なことにも数多くあてはまると思う。タフさが和らいでいたり、種類が違っているだけで。
社会(組織)の既往事項に対して新しいチャレンジを試みたとき、必ず浮き沈みがある。そうした中で志を曲げることなく受け止め、乗り越えることができるか。志を曲げてしまったときに、リカバリーすることができるか。ふたたび、志を取り戻すことはできるか。あるいは新たな志を抱くことができるか。


こうやって書くとオーバーな印象になってしまうのだけど、もっと簡単なことから振り返ってみるのもよいのかもしれない。極論、日常のひとつひとつの振る舞いに対して。



近々の日本の政治事情を見ていたこともあってか、主人公のアンジーがとてもたくましく見えた。この映画を鑑賞することで得るものが大きい人は、とてもたくさんいると思った。
というか、ぜひ観てください。



ちなみに、この映画の主役のキルストン・ウェアリング、すごいかっこいい。映画上のキャラクターとしてだけではなくて、スクリーンに映る姿やふるまいが。髪の色・メイク・ファッションと立ち居振る舞いの組み合わさった雰囲気がいい。