JUNO

「等身大の自分と向き合う」気持になる映画でした。

ちょっと飛んだ感じの女子高生が妊娠し、出産していくまでの物語。妊娠したのも、出産までの道のりも、ステレオタイプないまどきの子(をさらに極端にした感じ)なのだけど、自分に降り注ぐできごとを通じて、大切なことを理解していく姿が描かれていた。


この作品を象徴するのは「軽さと重さが溶け合い、互いを緩和しあう」ということ。


■「過剰な気楽」と「過剰な真剣」が交わる
 主人公の女子高生、妊娠に気づいたときも、出産までの過程においても、すごく軽い。いっぽうで、子供を養子に受け入れようとする夫婦は、とても重い。特に妻のほうは、子供を持つことへの憧れが非情に強い上に、いくつかの経験もまざってとても思いが強くなっている。

 水と油とさえ思うこの組み合わせ。しかし、混ざらなくても、接することはできる。一人の女の子に宿った命を、大切にはぐくむ。この目的が合っていることで、離れることなく接し続けることができる。

 そして、実際に触れ続けていることで、水と油と思われた関係が、実はそうではなかったことがわかってくる。接しているうちに、お互いが混ざり合うポイントを理解し、少しずつ溶け合っていくのだ。


僕もよく誤解しやすいのだけど、ふたつのことが大事だと思う。
 ・真剣であることが(必ずしも)優位な立場ではない
 ・人間性が変化していくわけではない
ということ。

何かの状況を目の前にしたとき、多くの場合、真剣なほうに味方してしまう。でも、気楽であっても真剣であっても、いずれであっても意味がこめられていることがある。このときは、どちらかに傾いた見方となってはいけない。JUNOが気楽な振る舞いをしていることをとがめることは、咎める側の自己満足に過ぎない。
※とはいえ、気楽にいる人は多くの場合「当事者ではない」という無責任な立場を得るために、そういう振る舞いをしているケースもある。こういうときは、見逃してはいけないと思う。

もうひとつの「人の変化」については、なんというか「もともと可能性はもっていて、それが表面化した」という捉え方をするのが良いと思ったのだった。気をつけないと「あのときは、はしにも」棒にも引っかからなかったのに」みたいに思ってしまいかねない気がするのです。



■リアルに直面すると苦しい
 JUNOの妊娠状態が進んでいく中で、だんだんとまわりに変化が訪れてくる。それは、必ずしも自分にとってハッピーではないもの。悲しみと怒りがわだかまりとなって、望ましくない行動をとってしまうこともある。

 人はどうしても「理想的な期待」を持ってしまう。それは、ときに素晴らしい力を引き出し、成果を生み出す原動力になる。いっぽうで、それが崩れた(=リアルに直面した)ときに被るダメージの大きさもたいへんなものになる。
 
 もし、それを、自分にとって大切だと思っていた人から受けることになったとき、とてもとても傷つく。その人たちと育んできたもの、信じてきたものをすべて失ってしまうような気分になることもある。本人にも、まわりの人々にも、関係ない人にさえ、当り散らしてしまうかもしれない。

 ただ、それは、しょうがないことだと思う。そういうこともしていい。
 大事なのは、その後にリカバリーすること。それさえ忘れなければ、現状復帰ではなくても、つなぎとめることができると思う。



■いまできるいちばんのことに向かう
 生きていると、時間が経つうちに、経験を重ねるうちに、理想や願いは変わってくる。その都度それを追っていくことが、素晴らしいことなんじゃないかと思う。

 でも、願いが変わりかけた瞬間、目の前にそれを達成する機会があったとき、それを受け止めるかどうか。ほんの一瞬でもいいので、考えてみることが大事だと感じた。

 それは「全体最適」となるかどうか。全体とは、自分だけでなくまわりの人々に対するものでもあり、今だけでなく将来にいたるものでもある。それらをひっくるめて、一度だけでも迷い・思い・考えてみたうえで決める。

 それはつまり、等身大の自分と向き合うことであり、等身大のまわりの人々とも向き合うということ。目の前にある宝物を、どうすることがいちばん幸せにつながるようにできるのか。自分では不足していることがあったら、短絡的な自己満足を留めて、本当に望ましい選択をする。
 これが、大人であり、社会の本質的な部分にあたるんじゃないかと思った。




女子高生が子供を産むというキャッチーな触れ込みに目がいきやすいところですが、作品に込められているのは「勇気」と「愛情」です。たくさんのシーンで、そうしたエネルギーを得られると思います。



ストーリーとはちょっと離れるので別に書きますが、この作品でいちばんすばらしかったのは、両親の姿。こうした関わり方ができるのであれば、血縁とか関係なく、親子の愛情は十分すぎるほどに培っていけると思いました。