告発のとき

なんとも複雑な後味の映画だった。
なぜかわからないけど、ノーカントリーと似た印象を受けた。ストーリーや世界観はずいぶんと違うのだけど、なんだが感じが似ている。たぶん、ストーリー・演出・映像の重厚感と、音の少ないなかでみせるつくりが多かったところがかぶったことからきているような気がする。


この作品、複雑な後味になったのは
 ・ストーリーが難しい(湾岸戦争のネガティブな側面を触れつつ、警察と軍警察とか、いろいろなしがらみがかなり混ざっている)
 ・刺激の強い要素が登場しまくる(殺し方の残忍さや、死体の映像、狂気の表情、等々)
 ・登場人物がすべて比較的重い善悪の両面を持ち、さいなまれている


表面的な難しさは、前のふたつが影響していると思う。この映画をあっさりと理解しきれる人は、かなり映画を見慣れている人であったり、頭のいい人なんじゃないかと思う。わかりやすくはない展開を、かなりのテンポで進ませていくので。


とはいえ、複雑さのいちばんの要因は、3つ目の設定にあると思う。
人間の二面性をすごくがっつりとえぐりとるかのように、見せ付けられた感じがする。二面性というのは、常時見せている「バランスを感じさせる」ものではない。この作品では「突発的な惨状に巻き込まれたときにみせる、メーターの上下の振り切り」を描いているのだ。だから、すごく重い。
しかも、それは、完全に理解不能ではないということが、いちばん大きな影響を与えている。大半の人の人生にはおき得ないことばかり、しかも、相当にネガティブな行動をとっているのにもかかわらず。そこに、大きな怖さを感じさせるのだ。



僕は、この映画で描かれているような場面にいたとき、どうなるのだろうか。ちょっと、想像がつかない。いろいろな登場人物の立場があるのだけど、それぞれの立場を考えても、どれについても思い浮かばない。
ひとついえるのは「彼らと同じことをしないかどうかは、わからない」ということだった。同じ選択はしたくないと思っているのは間違いないのだけど、いざ現実に目の前に繰り広げられたときに、自分を見失わずに受入れ、立ち向かい続ける自信がない。



だからこそ、いまの自分の目の前に起きうる現実でのできごとについては、怖さに目を背けずに立ち向かえるようになろうと思う。立ち向かった結果、失敗してしまうかもしれない、逃げてしまうかもしれない。でも、まずは触れてみよう。
大切なことは、「自分の信じるものを持ち、揺るがないこと」「怖さを感じるものと相対したときは、信じるままに冷静にかまえ、なんとかできるところまで落ち着いて近づき、仕留める」ということ。そして、「信じたものに頑なになりすぎず、本当に信じるべきものかを常に振り返ること」。


これができるようになったら、きっと、まっとうで社会に役立てる人生を遅れているんじゃないかと思う。




さて、この作品。湾岸戦争が関連しているので、PTSDの要素が絡んでいる。一般的なPTSDの伝え方とはちょっと違う側面を伝えているように思う。
僕はPTSDについてはまったく無知なのでなんともいえないのだけど、脳の本を読んでいる中で思ったことがある。細かいことは別の機会にまわしますが、出来事・経験と心理・行動への影響というのは、本当に難しい問題だと考えさせられた。そもそも、そんなこと起きないような世の中であることがベストなのですが、仮に防げなかった場合でもきちんと復活できるようにする。そういう道をさらに開拓していくことが必要なのだろうと思いました。いまはまだちょっと他人事的な書き方になっていますが、自分自身の立ち位置は少しずつ変わっていくだろうと思っています。