が〜まるちょば。

音のない世界


が〜まるちょば

パントマイムをベースにしたライブをしている人たち(といっても二人組み)。
もともとは、1年位前に深夜番組でみてから、けっこう気になっていた。そのとき、海外での大道芸人的かなんかの大会で賞をとっていて、すでに有名になっているところから日本に逆輸入的に紹介されていたのだった。

その後、いくつかの番組で何度がねたをみたことがあったのだけど、いずれも見事なパントマイムの動きで、すごく印象に残っていた。よくみるパントマイムとは、ちょっと一線を画しているのだ。
基本的な技術がちがうわけではないと思うのだけど、その見せ方がこれまでと違っていると感じていた。特に印象が強かったのが、リアリティー。かなり細部の動きにこだわり尽くした動きという感じ。ひもにぶら下がっているパントマイムであれば、その揺らぎ加減。不安定度合いを表す動きとタイミングが絶妙なのだった。


と、そんな印象のある彼らがライブをやるということで、せっかくなのでいってみようかと。なんとなく、いつもは観にいかないものをいってみようと思ったのもある(^_^



いってみたライブは、ちょっと印象とちがった。でも、面白かった。いつも自分が観にいくようなライブで感じる面白さとは、また一味違う面白さも味わったり。



■客をいじりまくる演出にとまどう

 「海外だったら、これものすごい盛り上がりそうだな」と思うようないじり方をしてくる。ちょいちょい話を振る(といっても、彼らは言葉をしゃべらないで、身振り手振りでそういったものを表現するのだけど)。あるいは、客席まで降りてきて、彼らの芸と同じ動作を求める(彼らが振って、客に動きを求める)。舞台に上げることもあった。
※ちなみに、遅れて入ってきた人は、観客が大拍手で迎えるようにいたずらを仕組んだりしていた(^_^;

 このいじる様子を最初に知った瞬間は、ちょっと嫌だった。抵抗感があったというか。少なくとも振られたくないなぁと思っていた。たぶん、多くの観客は同じ様子だったと思われる(客をいじる雰囲気になったとき、顔を背ける人がけっこういた(^_^)。
 舞台をみながら、なんでそういう感覚になるのだろうなぁ、と考えていた。思い浮かんだのは
 ・振られる内容がリアクションないし瞬発力の要る動作
 ・僕はどちらもかなり苦手
 ・これは、確実にすべるな
 という流れを意識的・無意識的に創造していたんじゃないかと思う。それが、嫌な汗をかくような感覚につながっていたのではないかと。



■客いじりを楽しめる感覚を味わう
 ちなみに、こうした観客個人をいじる以外にも、全員を巻き込むようないじり方もあった。それは、とある「掛け声」をしっかりと大声で言わせようとするもの。僕は、こういうノリがかなりダメで、多くの場合引いてしまう(ま、そもそも客をいじるネタ自体、あまり好きではないのもある。それを観たくてライブにいくわけではないので)。 

 でも、今回は、思いのほかしっかりと声をだした。というのも
 ・会場全体がそういう傾向にあった
 ・言葉自体いいやすいものだった
 ・ちゃんと言わないと、なんか後でいじられそうな気がした
といった感覚があったので。意外と大きかったのは、最後のやつ(笑)。

 ただ、実はいちばんうまかったのは、こうした感覚につながるように舞台を構成していたということ
。「いじられる」という日本ではあまり好まれない展開を、うまいこと「緊張」⇒「慣れ」⇒「楽しみ」となるような流れに持っていっていたと思う。長い経験と海外でつかんだ感覚を、日本で合うようにアレンジして作り上げてきたんじゃないかと思う。

 ということで、普段とちがう感覚で楽しむというのは、このあたりでけっこう達成されたのだった。



■期待を十分に上回る磨き上げられた技術に魅せられた

 僕がもともと期待していたパントマイムの技術は、もう目を見張るばかりだった。
 彼らのカンバン芸である「浮いたままとまって見えるアタッシュケース」は、本当に浮いて止まっているように見えた。あるいは「超スローモーションボクサー」は、時間の流れが本当にその早さになってしまったように感じた。
 いずれも、そういう風に見えるように細部にこだわり尽くした技術が生み出す、魔法のような感覚だと思う。似たようなことができる人はたくさんいると思うけど、同じレベルのことができる人は、そうそういないのだろうとも思う。

 このほかに、コント的なストーリーもあった。内容はけっこうベタなものもあったのだけど、それでもなお面白かった。
 ひとつは、パントマイムの動きがつくりだす妙。たとえば、ラーメン屋でのできごとを描くコント。小度具はほぼゼロ(座る姿勢をつくるために、椅子がひとつ使われていたのみ)。でも、彼らのひとつひとつの動きで、どこに何がおいてあるのか、まるで見えてくるようにわかる。
 これは、芝居というよりも、動きの停止の影響が大きいと思う。ひとつひとつの動作に、すべて区切りがある。同じ動作を繰り返したときに、同じ位置で繰り返されるのだ。そして、いったん動きを止めたら、そこはしっかりと固定される。だから、まるでそこにモノがあるように伝わってくるのだ。
 クチでいうと当たり前に感じるのだけど、あそこまでしっかりと具現化していると、プロ中のプロの芸なんだと思えるのだった。



■言葉がないことで世界観を生み出す

 このライブ、彼らはいっさいしゃべらない。厳密に言うと、「うにゃにゃにゃにゃ」みたいな擬音で会話っぽいことをすることもあるのだけど(笑)。でも、すべてのねたにおいて、言葉がないとわからないことは一切なかった。

 言葉をださないことで、観客の集中はすごく高まるのだと思う。言葉を理解することではなく、視覚と聴覚からダイレクトに得られる情報そのものの解釈に意識が向くからなんじゃないかと思う。

 で、この言葉のない状況の集中を、さらに際立たせる演出もされていた。圧巻だったのは「超スローモーションボクサー」で、暗転から徐々に光度を上げていき、重低音で「ウォンウォン」と繰り返されるなんともいえないBGM。これらが組み合わさると、本当にスローモーションの世界に入ってしまったように感じたのだった。

 このほかにも、言葉を発していたら、コントの普通の突っ込みになってしまいそうなものが、また違う味わいで演出されているものがあったり。あるいは、声がきこえないことで、キャラクターの深みが増したり(観客側の想像しだいになる)。

 芸術性の追求とは一線を画して、パントマイム的表現方法をエンターテイメントとして高みを極めようとしている工夫や努力が垣間見えた気がする。




いずれにしても、すごく面白い、いままでと違う味わいのできたライブでした。別の機会があったら、いってみたいと思います。いじられるのは、できれば勘弁とは思いつつ(^_^;

ただ、次にみるときは、もっとパントマイムの技術をたっぷりと前面に押し出したネタをたくさんみられることを期待しています。