マイブルーベリーナイツ

こういうロードムービーもあるのだな、という感じだった。
土地を移動する様子をほとんど描かないので、ロードの雰囲気がかなり抑えられているなぁ、というのがその理由。でも、ロードムービーだと思う。傷ついた人が旅に出て、見知らぬ人と出会い、関わり、すれ違い、傷ついた心がそっと修復されていく。

他人の姿を通じて、「他人に投影された自分の姿」を見ることができる。それによって、自分を知ることが出来る。自分の傷を一切知らずに関わってくる人(それは、おそらく本人にとってありがたいこと)、あるいは自分以上に複雑な状況で傷ついている人、自分に縁がなかった世界や思想を持って人生を歩んでいる人。さまざまな他人との出会いが、傷を癒す。それだけでなく、もっと大きな意味のある成長、人としての魅力を増し、磨く機会につながっていく。

そういう機会は、おそらく、「日常だったら、ちょっと関わるのがためらわれる」ような人や出来事に多いんじゃないかと思った。だからこそ、旅にでる意味がある。旅に出ればこそ、すべてのことが非日常。となると、普段感じる日常であろうと、すべて非日常。旅の恥はかき捨てとばかりに、思い切って関わってみることが出来るんじゃないか。ロード(ムービー)のいちばんの意義は、そこにあると感じた。


それと、「明確に意識するところまでいかない帰り場所」があることも、この作品の魅力につながっている。ジュードロウ扮するカフェ店主が、旅に出たノラジョーンズを待ち焦がれている様子が、なんとも切なく、楽しく、よいアクセントになっている。あわてて電話をかけまくり、失敗する様子なんかはものすごく人間的な魅力を感じた。こんな人が待っていると知っていたら、きっと帰ってくるだろうな、と思うくらい。
※映画では、ノラジョーンズは、ジュードロウのそういった様子をあまりよくわからずにすごしていましたが…(^_^;


思ったのは、こうした状況を、日常で過ごす場所でも得られないか、ということ。あるいは、つくりだすことができないか。
旅にでることがそういう機会につながる、だから旅は素晴らしい。それはわかる。でも、旅はコストが大きいし、旅でしか手に入れられないものだとしたら、ちょっと惜しい。普段の生活でも、自分が傷ついたときに、新しい何かを手に入れる機会。見知らぬ他人ではなく、自分をよく知る人を相手に、ルーティーン的に経験している作業や出来事を通じて、それまでの自分とは違う一面をもつように成長する。そんなことができないだろうか。

いまはまったく答えがでてない(というか、考えてもいない…(^_^;)のですが、実はあんまり荒唐無稽なこともいってないような気もする。この映画に潜む、すべてのキャラクターの魅力と背景をもっと深く読み取って、この映画の舞台と関係性をもっと広くとらえることで、見えてくるものがありそうな気もする。
すごくあいまいなことを書いてしまっているけれども、なんとなくそんな気がするのでした。


傷ついたとき、自分自身やそれにまつわる出来事について振り返ることが多い。でも、それだけではなく、それとはまったく違うことで、まったく関係ない人と関わることで、あらためて気づくことができる。あるいは、気づくことなく、成長によって解消できてしまうのかもしれない。
繰り返し、継続することも大事。でも、新しいことに取り組み続けることも大事。そういう感覚にまでつながっていく映画でした。


それにしても、ノラジョーンズって、えらいかわいい。名前くらいしか知らなかったのでインパクトがより一層大きいからかもしれませんが、それにしてもすごい。なんというか、日本人にもすごく好かれやすい顔立ちなんじゃないかと思う。今回の作品については、役柄もそういう印象だったので、日本での人気が高まる予感大。

誰かに似ている気もするのだけど、思い出せないのが残念。有名人なのか、プライベートの知り合いなのかもはっきりしないくらいあいまいなのだけど。
でも、どっかで見たことがあるような・・・・。
ま、それがどうであれ、ノラジョーンズ、好きです。