クソスベリ芸人


クソスベリ芸人

先日放送されていた「アメトーーク」でのこと。
元猿岩石の有吉がペナルティのワッキーのイメージとしていった言葉。

もともとは、有吉が品川庄司の品川のイメージをきかれて
「おしゃべりクソ野郎」
とこたえたことが発端。
そこから派生して、ワッキーのイメージは何?と振られて
「クソスベリ芸人」
とこたえたのだった。


いや、正直おみごと。めちゃくちゃ笑った。
いちおう、ワッキーが本当にものすごいすべる姿がこの前に取り扱われていたから笑えた、というのもある(雨上がりの宮迫が「19年やってきて、こんなきれいなすべり方みたことない!」と言わせしめるくらい)。
こうした状況をもとに、突然のフリにこれだけ見事に「クソスベリ芸人」という言葉を導き出してこたえた有吉はすごいと思った。


で、そこに続いたワッキーの感想も面白かった。
「(そのネーミング)いいとこまったくねーじゃねーかよぉっ!!」
「おしゃべりクソ野郎」でも、おしゃべりは良い面もあるじゃないか、と。でも「クソスベリ芸人」にはそういった良い要素がひとつも含まれていない、と。
「愛がまったく感じられない」と。いや、本当にそのとおり(笑)


さらにすごかったのは、関根勤のコメント。
「すべってから、その後に笑いがドーンとくる。一人時間差芸人」
「今までも音芸と顔芸はできてた。これに『トークをして滑る』ことが加わって、幅が広かった」
このコメントに付随して、「すべることを武器とするスタイル」でいける、みたいな展開に。


この一連を観ていて思った。
「一見すると(かなり致命的な)弱点であっても、捉え方や活かし方を変える」ことで、かなり印象を変えられる見本のような話だなぁ、と。
これ、「自分がやりたいスタイル」というのとずれているかどうかがポイントかもしれない。芸人であれば「すべる」というのは、致命的。仮に「すべって笑いをとる」というところまで気がついても、それをやりたいと思えるかどうか。
そんなとき、なんで芸人になったかを思い返すと「笑いを起こしたい」ということに思い至るかもしれない。そうしたら、新しいスタイルを受け入れられるかもしれない。
あと、まわりが気づかせてくれた、というのも大きいと思う。自分以外の誰かが、特にそれが「自分が信頼・尊敬している人」であったら、その人が言ったことは素直に聞き入れやすい。「この人たちがそういってるのだからやってみよう」と行動にもつながりやすい気もする。


僕自身のことを振り返ると、すごく苦手なことが思い浮かぶ。これを、自他共に「価値がある」と思ってもらえるような捉え方・活かし方がないか、見つけ出したいです。
ま、そんな簡単に見つかるものでもないのでしょうけど、今年度はいろいろと機会があったので、振り返りつつまわりにききつつ、まずはヒントになりそうなことから手に入れられそうな気もしています。