地上5センチの恋心

後味のいい、とても素敵な映画だった。


夫と別離して10年以上経つ年配の女性が、複雑な子供(ゲイの息子とニートの娘)を抱えながらも、一人の小説化が生み出す作品によって力づけられ、ときには迷いながら悩みながらも、毎日を明るく楽しくすごしていく姿を描いている。


この作品がもっとも素晴らしいのは、キャラクターにあると思う。
まずは、主人公の女性オデット。今はデパートだかスーパーだかで販売員をやっている普通の年配女性。夫に先立たれているし、子供も複雑な状況にある。でも、彼女は、そんな日常に対してはグチをいわない。子供に対しても、ほったらかすわけでもなく、干渉しすぎることもない。あくまでも自然に接し、必要なときには怒るけど、基本的にはいつも明るく仲良く接する。かといって、友達感覚になっているのではなく、親子としての愛情を持った付き合い方をしている。


夫に先立たれて打ちひしがれる中、小説をきっかけに明るさ、希望を取り戻し、毎日を一生懸命に生きることができるようになった。その喜びと感謝をあらゆる場面で忘れることなく過ごしている姿からは、「幸せな生き方っていうのはこういうことなんだな」ということを素直に学び取り、理解することができるようなものだった。



こんな人がそばにいたら、かなり楽しいのだと思う。ムードメーカーというか、自然に発するポジティブな空気がまわりを幸せに包み込んでいくようなイメージ(小説家に心酔しすぎていたり、ちょいちょい踊りだしたり、過剰な明るさにひいてしまうこともあるかも・・・?)。


どうしてこんな風に感じるのだろう?
 ・酸いも甘いも知っている
 ・純粋で天真爛漫
 ・自分もまわりも心から思いやれる
といった姿からだろうか?
実はけっこうポイントだと思ったのは「年配」であること。こういう風に歳をとれた人に対しては、けっこう無条件に尊敬と愛着をもって接してしまうような気がする。
僕自身はなかなかこうはいかないのだけど・・・(^_^;




さて、もうひとつのこの作品の魅力が、ネガティブとポジティブの両面(特に、それが入り混じっている現実)を取り扱っていること。
オデットであれば、ものすごく普通の(なんだったら、ちょっと辛いくらいの)家庭を持ちつつも、大好きな小説(家)を中心に毎日をすごく明るく過ごしている。小説家の○○は、富・名声・美しい妻・その他の女性等々、たくさんのものを手に入れているのだけど、(自信の源となるはずの)小説がこきおろされたり、妻に浮気されていたり、とてもネガティブな心情に陥っている。
こうした対照的な二人が接し、触れ合い、会話を重ねあうことで、お互いの不足を補い合いながら、新しい幸せを築いていくのだ。


こんな感じで「混ざり合う」というのがすごく効果があるのだと思う。特に「お互いにちがう要素をもっている人たちが、同じ話題をもっていて、かつ相手の感覚も理解できていて(でも、いまはちがっていて)」という状態がすごくいい。実世界でもこういう関係をたくさんのタイミング、たくさんのシチュエーション、たくさんの関係性をつくりだすことができたら、どんなときでも(ある瞬間は落ち込むことがあっても)適切な機関でポジティブで射続けられるようになりそうな気がする。
そして、そうした人に出会う(なる)にあたって、たくさんの経験を踏まえてきているほど、数多くの機会につながると思った。やっぱり、自らの経験から来る言葉がだせる人ほど、信頼を感じさせてくれると思う。何かを極めた人の話もすごく価値があって面白いけど、失敗も成功もバランスよく数多く積み重ねてきた人のほうが自分がありたい姿に近いかもしれない。



最後に、この映画で印象に残った一言。
「傷つきやすいからこそ、書くことができる」
僕が日記等を書くことに対する意欲は、こういうところから来ているのではないかと思ったのだった。