団塊ボーイズ

団塊世代のおっさんたちが、日常を離れて、さまざまな事情から失ってきたものをふたたび手にする。そんな姿を描いた映画。
アメリカでこの作品がつくられたということは、日本と同じような状況がいろんな国で起きているのかなぁ、と感じた。


若い頃は無茶をしたけど、いまではうだつのあがらないおっさんになってしまった。
家族からも尊敬を抱かれない。仕事にもコンプレックスがある。夢をおさえ、あるいはあきらめ、あるいは見ることさえない。
そんな日常を脱出したくなるときがある。そこで、「そんなの無理だ」とあきらめる。多くの人は。でも、そうならないで、突き進んでみたらどうなるのか。そこには、「本当に夢をつかむかのような気分」と「悪夢をつきつけられた気分」がある。どちらかでもあり、両方でもある。
出向いた先で、変わった警官とトラぶったり、悪い連中とトラブルになったり、ちょっとした英雄になったり。笑い話になるようなことから、シャレじゃすまない経験をしたり、「(今では失ってしまっていた)あの頃の楽しさ」を取り戻すかのようにすごしていく。
失ったままにしない方がよいこと、たまにはやってみるといいこと、そうはいっても日常の大切なこと。そういったことに気づく機会となる映画だと思う、


日常を離れようと思ったとき、それを実行するのはなかなか難しい。本人の思い込みに過ぎないこともあれば、常識的・道徳的に難しいこともある。本当によくない場合だってあるだろう。では、そんな縛りをつきやぶるには・・・。

映画で見られるのは
 ・自暴自棄になりたくなるような事件が降りかかる
 ・日常自体が逃げ出したくなるような状況(「きっかけひとつあれば・・・」)
 ・大切な人からの後押し
ということ。
実際に行動にうつるにあたって、それぞれ「言いだしっぺ」「ノリ役」「縁の下」みたいな役回りになる。

僕自身がそうなのでよくわかるのだけど、「やりたいこと」がはっきりとしていない人はとても多いと思う。その割りに、世間的には「自分探しばかりしていないで…」みたいな風潮も強い。実際は「探すのはじっとして考えることだけではなくて、行動することなんだ」ということをいっているのはわかる。でも、ただの尻たたき的な論調であることが多い。それだと状況は変わらないで、いっている人たちが強者なんだと思うだけになっていると感じる。

その点、この映画は違う。「行動するんだ!」というお仕着せは感じない。あくまでも、面白く楽しく、そしてちょっと切なく、ジーンとする。そうした感情の変動を通じて、何かやってみようと思わせてくれる。
僕が何かをするときも、そんな風にものごとを進められるようになりたい。


ちなみに。邦題が「団塊ボーイズ」だったり、出演者がそういった世代であったりと、おっさん向けに感じさせるものとなっている。でも、内容はもっと若い世代が見ても楽しめる。もちろん、おっさんも面白いと思うんじゃないかと思う(^_^



この映画で好印象だったのは、宣伝と内容との一致性。予告編や各種宣伝を通じて得ていた印象から、ほとんど外れない内容だったと思う。それは意外性がないというネガティブなものではなく、期待に応えるというものだった。もっというと、適切な観客が鑑賞する機会をもつように(適切でない観客は見ないで済むように)展開できていたのだと思う。
「作品の本質とかけはなれてもいいから、客が着てしまうような予告編をつくればいい」と感じさせるような展開が多い昨今、この映画については「映画に対する満足感を最高にする!」という気持ちが伝わってくるもので、心地よかった。

多くの作品がこのようになってくれることを、心の底から望む。