スウィーニー・トッド

とにかく、ずっしりとくる映画だった。


「ロンドン」という舞台は明確にされているものの、なんとなく「おとぎ感」がある、そんな独特の世界観。冒頭から暗めではじまるものの、「どんな展開になるだろう」という期待感も持って見ていた。まだこの時点では、この物語の本質は秘められているままなのだった。


この作品で描かれているのは
「殺人による幸福への願い。その幸福とは、『富』と『復讐』の二重にかかっている。その不条理性」
だと思った。しかも、すべては、人の純粋さから生まれている。愛と欲望に向けて。人を想うが故に、過ちを犯す。未必を含め、繰り返される故意。楽になることと苦しくなることが同義であるように場面がつながっていく。それは、各キャラクターにとっての人生そのもの。
そして、それが人なのだ、と。

中盤に描かれる「のどかさ」で、緊張と緩和の振れ幅が大きくなり、見るにしたがってさらに心を揺さぶられていった。

ラストシーン近く、トッドが二人で踊るシーンがある。僕は、ここで涙がこぼれかけた。
表裏、情熱と冷徹、憎悪と愛情、期待と裏切り。いくつもの人の不完全さが、人を惑わせ、人は業を背負う道に導かれる。そんな人間の弱さ・怖さが、凝縮された瞬間を見せられたように感じたからかもしれない。


そして、ラストシーン。あそこで終わったのは、この映画で伝えたいことの、象徴だと感じた。人が人として生きたとき、そこにはそういう結末がありうるのだ、と。

エンディングとしてありがちなのは、残された人たちのその後を描くことだと思う。しかし、この作品にはそれがなかった。これは、「映画の本質をぶらさないこと」と同時に「(彼らのその後について、鑑賞者が想像を駆使し)そんな中でも可能性のある人として生きる道を探す」ことを意図しているのかもしれない。そんな風に思った。


最も恐ろしいのは、人を殺す行為そのものではなく、それを願う、そこに至る心にあると思い知らされた。


この作品、見ても「ハッピーな気分」にはなれないと思います。人によっては、気が滅入るかもしれない。でも、それでも観る価値は十分にあると思います。