K1化するM1

昨日、第7回を終了したM1。
サンドウィッチマンが初の敗者復活戦からの優勝をとげて、幕を下ろしました。
感想については、先日のblogのとおりです。参加された芸人さん方、お疲れ様でした。


で。今回のM1をみて、あらためて確信したこと。
それが、タイトルの「K1化するM1」という流れ。

同じような印象をお持ちの方も多いと思います。
あらためてどういうことかまとめてみたい。


どちらのイベントにも共通している魅力は何(だった)か。
僕は
・志:格闘(お笑い)バカのプロフェッショナルによる「誇り」をかけた真剣勝負
・爆発力:一撃必殺のKO(M1でいえば爆笑)
・コア度:格闘技好きの割合が高い市場
にあると思う。


これが、一定期間(3〜5年あたりになると思う)経過すると、どういう影響があるか
・ショー的要素の拡大
・スターの君臨と誕生
・コア度の低い市場の参加
これによって、一気にメジャー化する。


ここまでは、ギリギリ魅力を維持できていると思う。
しかし、ここから、当初持っていた魅力を失う展開が見えてくる。
・類似かキワモノの追随
・技術に偏った進歩
・イベント優先感が漂う運営


■メジャー化しすぎると、市場に合うサイズ分だけの参加者をそろえる必要が出てくる。しかし、新たな参加者を募るとしても「先達に習って成長」する背景から、魅力のある個性をそろえることが難しい。一方で、なんとか探し当てるとしても、すでに多くの参加者がいることから、あらたな個性を見つけることそのものが難しい。そうなると、かなりキワモノ的な部分を目指す必要が出てくる(K1もはじまった当初は、ピーターアーツでさえそこそこ異質に感じられた気がする)。
もともと(真似をして)似たような人材が育ちやすい状況に、あらたな個性がどんどんとニッチを浸食することで、参加者を色付けする個性の差が目立ちにくくなっている。
こうした状況になると、「本来自分がやりたいこと」とは別な観点で、スタイルをつくっていってしまう可能性もある。こうした姿からは「志」の魅力は感じにくい。


■技術を追い求めると、爆発力が失われる。爆発力を感じさせるのは、K1でいえば攻撃であり、M1でいえばセンスにあると思う。これらは、才能やセンスといったところから生み出されるもの(といっても、先天的なものではなく、それを磨く修練で高められるものだと思う)。
しかし、才能やセンスを高める修行って、正直言って何をしたらいいのかわからない、という感覚が強いと思う。そうなると、何度も行われている過去の実績から少しでも多く手に入れられうるものとして、技術を学ぶことに費やす時間が多くなるのではないか。
技術は、爆発力と反する要素が多いと思う。格闘技だと防御、M1だと芝居。どちらも大事なので絶対におろそかにしてはいけないのだけど、この部分だけすばらしい段階に入っても、スターにはなりにくいと思う。どちらかというと「いぶし銀」という存在に近いと思う。
そういう人も大事だけど、両方の大会とも、求めている対象ではない気がする。


■イベントの優先感は、「金のにおい」がすると言ってもいい。内容を、参加者以外の人たち(バックグラウンドを担当する人たち)に制御されているような印象を受けるのだ。たとえば、M1でいうと、毎年「初の○○」が何かしら出来るように進めていると感じられる、とか。許容範囲を超えない段階におさまっているとは思うので不正ではないのだろうけど、ちょっと無理な感じがでてきている。
それと、本質以外の部分が豪華になりすぎる。たとえば、セットが必要以上に派手になっているとか、関連イベント(記者会見とか)が妙に大げさであったりとか。
いちばんわかりやすいのが、放送開始時刻から、実際に本編(試合にいし漫才)がはじまるまでの時間が長いところ。はじまるまでの時間は、視聴者にとってはどうでもいいのだ。盛り上げるために工夫を凝らしているのはわからなくもないけど、過剰になってはいけないと思う。



長くなったので、続きは別エントリーにて書きます・・・(^_^;