「ウェブ時代をゆく」を読んで・・・「好きを貫くこと」の考察

いろいろと、ネガ・ポジ、両面から(特にある程度極端に振れた)意見がはいってくる。
でも、どれも(ただの「誹謗中傷」や「乗っかりだけ」以外は)同じ方向を向いているようにも思うのだが、いかがだろうか。


・好きなものは、変化する
 好きなものを毎日食べれば飽きるのもあるし、なんかトラウマになる出来事(僕はカニがおいしくて食べまくっていたら苦しくなって吐いてしまい、しばらく食べられなかった)が原因となることもある。あるいは、なんかわからないけど好きではなくなったというのもあるだろう。
 「好きを貫く」とは、「変化していく好き」を追いかけていくプロセスだと思う。
 ※ただ、あまりにも早く変わるものは「そんなに好きじゃない」と判断してよいとも思う


・「貫いた」ことになるのは、「期間」ではなく「究める度合い」で決まる
 「道を究める」というと、「この道60年の職人さん」といったイメージが浮かぶ。しかし、元柔道選手の小川直也は高校生から柔道を始めて、19歳で世界選手権で優勝(史上最年少)した。たったの4年間だけど、この時点でも「小川は柔道を究めた」といってもいいと思う(長年柔道をやっている方からすると、違和感があるとは思いますが、一般的な意見としてはありだと思う)。
 とすると、「貫いた」ことに必要なのは「自分orまわりから『OK』と見られる段階」にあるということではないか。


・「究める」ことのハードルの高さは、自分しだい
 究めた基準として、「オリンピックで金メダルをとること」はわかりやすい例だと思う。「専門書を何十冊も残した」というのもありだと思う。あるいは「円周率を100桁覚える」ということでもいいかもしれない。
 円周率100桁なんてコモディティっぽい感じはあるけど、究めると判定することもできると思う。ひとつは「自分が自信をもてるのであれば、それでいい」という考え方。もうひとつは「円周率100桁に価値を感じる集団がある(可能性がある)」という考え方。例が悪かったから、具体的な状況は思い浮かばないけど(笑)。
 ただ、「究める度合い」は、「自分がそう思える」か「そう思ってくれる人たちの存在を知る(見つける)」ことで決まるのだと思う。


・最後は「組み合わせ」でつくられる
 好きを見つけ、自分(ないし他人)が究めたと判断できる段階まで取り組む。究めたと判断できたら、好きの変化を観察し、次なる好きに取り組んでいく。
 このプロセスを繰り返していくと、いくつか(も)の「好きを貫いた」実績ができてくる。このとき、組み合わせられたものは、おそらく千差万別になるんじゃないかと思う。それが個性であり、強みとして発揮されることになる。
 それは、「ウェブ時代をゆく」で書かれていた、「けものみち力」に通じるのだと思う。


ということで、いろんなことに手をだしてみて、仮にそれが「あらゆる人がすごいと言ってくれるものにはならなかった」としても、自分が良しと思えれば「好きを貫いた」ことになる。
たぶん、「貫く」という表現にすると、修行っぽさが前面にでてしまって、「おいそれと手をだしてはダメなんじゃないか」と感じられてしまうのかもしれない。だから「都度都度いろいろやってみる」という捉え方が対比のような形でみえてくるのかな。
といったところまでで、(無理やり?)まとめたこととします。



【なんでこんなblogを書いたか】

先日のblogにも書いたが、僕自身は弱い。だから、上級戦士がめいっぱい振り切って突っ走られると、振り回されてしまう。最初、望田さんの考えもきつく感じていたのを、悩みつつ怖がりつつ、勇気を出してなんとかキャッチアップしようと進んでいるのだ。そこにまた違う強者の視点が入ってくると、せっかくキャッチアップしようとした自分に、また自身が弱まる。
そうなると、行動の勢いがなくなるし、場合によっては止まる、あるいは戻ってしまう。

先駆者として、それぞれの視点を最初に出した人に対しては、まだ向かい合うことができるけど、それに乗っかってきつい意見を重ねられると、ちょっとげんなりしやすいかもしれない・・・。


建設的に議論が進むのであればいいのだけど、そうでないところに向かっているエネルギーはもったいない。せっかく巨人たちが目一杯振り切ってくれているのだ。「広げてもらった世界を存分に楽しむ」ことや「まったく別な振り切る方向を探ることに挑戦する」といったことに向けられたら、ずいぶん違う気がする。
同じ方向についていっただけでは、勝てないんだから、新しい価値は出しにくい。最高に普通のことを言ってみるとかのほうが、まだ新しいかもしれないのだ。


ということで、比較的ど真ん中(振り切り感の少ない)の意見を書いてみた。「好きを貫く」を議論する場を有限の平面ととらえたとすると、ちょうどバランスする位置にあるものだと思う。面白みのないものかもしれないが、ここを基準にすると、少しは安心していろんな意見に触れられるのではないかと、期待してみる。