「ウェブ時代をゆく」

■前置き
最初、この本の書評はもっとかっこいいことを書こうと思っていた。
でも、それはやめた。
せっかくこの本を読んだのに、その価値を受け取らずに、自分の見栄や自己満足にとらわれているだけになってしまうから。ということで、自分の心に留まったことを、できるだけ素直に書いてみることにする。


■本題

本書を読了したことで得られたことのひとつ。
それは、「自分が凡人である」、これを認めることへの意識が強まったこと。


もちろん、完全にそう思えるようになったわけじゃない。「自分には才能がある」、そう信じていたい。考える力、発想力、仕事力、忍耐力、などなど。身近な人物から、書籍やネットを通して知るような人物を相手にでも、比較し、一喜一憂する。


ただ、幾ばくかは軽くなった。大きな理由はふたつ。
ひとつは、「梅田さんほどの人物でも、そういった感覚をもっていること」がわかったこと。こんな人がそう思うのであれば、自分が凡人であるのは当たり前で、そういう感覚を持っているのが当然。かつ、そういう感覚を持つことへの抵抗感が和らいだ。


もうひとつは、「けもの道」や「ロールモデル思考」という考え方から、自分の道を見つけ歩いていくイメージが強まったこと。かつ、自分自身、以前から似たようなことを考えていたことがあり、自分への自信にもつながったこと。
「けもの道」については、「橋の端を歩く」という表現で考えていた(高速道路は「橋の中央」として考えていて、ある程度のところから渋滞する。その道で先に進めるのは、腕っ節で押しのけていける人。中央突破をせずに進むためには、端を見つけ出して駆け抜けるという考え方が必要、といったようなことを考えていた)。
ロールモデルにしても、自分の尊敬する人々(仕事や教育の場で出会った恩師たちや、歴史上の人物とか)をイメージし、その人のどの要素に憧れを抱き、自分とどう違うのかを考えていたり。


しかし、梅田さんと自分とは大きな隔たりがある。実際の「行動速度・量・深さ」だ。だから、ひとつひとつの言葉の重みがちがう。厚みがちがう。そこも思い知らされた。
だから、すごく響いた。薄っぺらな自分に嫌がおうにも気づかされ、かつ、その気づいた姿もまた自分自身であることを認める。
この本(かつ、これに関する諸所のネット情報)を読まなかったら、ここまでたどりつくことは無かったかもしれない。少なくとも、もっと時間がかかったことは間違いない。


だから、本を読んで、ひとつ誓った。
まずは、blogを書くこと。書き続けること。日々、自分の思考・志向・嗜好を、経験をもとに記し続けること。それも、ただ単に自己満足のためではなく、どこかの誰かにとって何か役に立つこと。
そして、その価値を自分が生み出せること。
これらをすべて信じて、綴り続ける。



■気になっていること
この本のすばらしさに対して、一部での受け止め方に違和感がある。
 a:「この本はすごさ」「刺激された」「行動しようと思う」まででとどまっているもの
 b:それに対して、すごく批判的にコメントしているもの

どちらも、気持ちがわかる。解釈自体は、理解を促すのに役立ことは多い。また、批判も、それがプラスに働く要素もあるから、存在しなくなる必要は無いと思う。
だからこそ、プラスの方向に働いてないケースが見受けられると、すごく惜しいと感じる。

だから、できたら
 a':本を読んで、こうしてみた。
 b':もっとこうしたらいい。あるいは、自分はこうしている。
という書き方であると、うれしい。
最近話題になっていた「ウェブ・リテラシーを身につける方法ver0.1(ver0.2)」なんかは、すごく良い例だと思う。



僕自身、行動には消極的だ。だから、「こう思った」という解釈でとまっている傾向ばかりでも、「行動しなきゃだめだ」という雰囲気だけが強まっても、どちらも気持ちが弱まってしまう。
僕は弱いのだ。そして、似たような人は、他にもたくさんいると思う。
僕は、この機会に、少しでも自分自身を高めるようにしていきたい。怖がりながら「なんとか踏み出した一歩」を大切にしたい。だから、世の中からもそういう情報が得られるようになって欲しいし、自分自身もそういう情報を発信していきたいと思う。