宮崎駿

[雑感]宮崎駿

先日放送された「プロフェッショナル」をみた。
ぽにょを観てからにしようと思って録画したままにしておいたのだった。


映画を観る前だったり、昨日の日記を書く前に見なくてよかった。観ていたら、映画の感想や日記に振り返る内容が変わっていたと思う。宮崎駿という人間に対して強く影響を受けたものなのに、映画そのものの感想に混ぜてしまったんじゃないかと。


■年齢との向き合い方
いちばん印象に残ったのは、年齢と向き合う姿だった。
一瞬、「年齢と戦う」という言葉を使おうかとも思ったのだけど、おそらく宮崎駿という人はそういう意識ではない。いまの年齢で取り組むべきことをきちっと見据えている。

・年齢によって失ったもの
いちばん印象に残ったのは、このあたりだった。宮崎駿の仕事の様子が描かれていた中で、「以前とくらべて仕事が格段に遅くなった」という場面があった。担当から書きあがった絵をチェックする作業で、1000枚単位くらいで積まれていて、これをさばくスピードが何分の1かになったという。
また、仕事場から一人帰る姿や、「面倒くさい」といったぼやきのような言葉もみられた。

きっと年齢にもっとも影響を受けるのは「集中の持続」なんだろうと思った。瞬発的な集中は年齢の影響をなんとか抑えられる部分なんじゃないかと思うけど、持続にかかる体力・精神力はかなり厳しいのだろう、と。
宮崎駿というと、鬼のように働き続ける代名詞みたいな印象があった(手塚治虫みたいな)。そうした印象と比べると、今の姿にはわずかに残された(あるいは残っていない)要素が大きく影響しているのだろう、と感じたのだった。

この年齢になる前までに鍛え続けていた人でさえ、こうなるのだな、と。
※その頃の余波がでたという見方もできるかもしれないけど、鍛えていなかったら今の仕事なんてとてもできないと思う。


・うまくつきあうための変化
宮崎駿は、100%仕事にコミットするような印象だった。でも、本人もいっていたけど、そうもいかなくなってきた。そうしたなかで、なんとか仕事へのコミットを高められるように、向き合い方を変えている様子もわかった。
ひとつは、健康への意識。たとえば、朝一番に起きて、仕事前にたくさん歩くこと(ついでにゴミひろいなんかもするらしい)。起きたらすぐに仕事にとっかかっていそうなイメージだけど、やはりそういう基礎的な体力維持から取り組むようになったらしい。
また、仕事終わりの意識の切り替え。これまた24時間仕事のことを考えていそうなイメージだったのだけど、帰宅してからは考えないようにしたらしい。そうしなければ、もたないのだろう。
面白かったのは、切り替え方。帰り道、バスの数を数えるらしい。で、見つけたバスの数が一定以上だったら「今日の仕事はOK」という判断材料にするらしい。そうすると、けっこう必死でバスを探すので、そっちに意識が集中していって切り替えにつながるとか。
これは、けっこう使えると思った。ちょっと試してみたいと思う(最近は、そこまでしなければ切り替えられないような状況でもないのですけど、じきにそうなると思うので(^_^;)。



■スタイル
あらためて驚異的だなぁと感じたのが、宮崎駿の仕事スタイル。単純にまねできないだろうなぁとも思ったし、生半可で同じようなスタイルでやっている人がいたら、相当に反感食らうだけのような気がする。

・マイクロマネジメント
強烈に驚くのは、原画のひとつひとつに眼を通してチェックしていく姿。しかも、気に入らないものについては、ひとつひとつ自ら手直ししたりする。一般的なアニメの作り方を知らないので、これが普通なのかどうかわからないけど、相当に細かく感じた。そこまで自分でやるものなのか、と。
さらにすごいのは、そうした「手をつける必要があるところを見極められて、どうすればいいのかを具現化する技術がある」ということ。クチだけでなく手をだせるほどに、自らの技術が卓越していることは、こうした振る舞いを支える条件なのだと思った。


・ギリギリまで粘る
自分が納得するものを追い求めて、追い詰めて引っ張り出そうとする様子も印象に残った。
宮崎駿が担当する絵コンテが進まず、全体の進捗が遅れていた。いったん締め切りを約束するものの、最終的には1ヶ月ほど延ばされた。宮崎駿本人は何も話さなかったけど、鈴木プロデューサーは次のような言葉で説明してくれた。
 ・「早く描きたくないんですよね、たぶん」
 ・「ギリギリのところまで、自分ではおもいつかなかったこと、そういうシーンに自分が出会いたいんだと思う」

先の見えないなかで進むのは、かなりのリスクがある。それは、自分本人だけの問題ではなくなるかもしれないけど、それでもその覚悟をもって掴み取りたいという欲求の強さが支えているのだと思う。こだわりなのかもしれない。

※ちなみに、こうした支え方ができることが鈴木Pのプロデューサーとしての資質の高さの大きなところだと思った。


・膨大な蓄積
若い頃からため続けたものが、いまの支えになっている。僕は今回はじめてみたのだけど、「天空の城ラピュタ」や「となりのトトロ」といった作品は、原案的な企画はかなり若い頃から持っていたらしい。映像で紹介された様子からは、最終的に映画化された作品とは色合いがずいぶんとちがうようだけど、発想の根源となるタネは蓄積されていたのだと思う。

あと、宮崎メモというか、作品ノートも興味深かった。内容は公開されなかったのだけど、映画にまつわるであろうアイディアやら何やらがひたすら書き綴られているようだった。こうした仕事に限らずに多様なことをする人は多いと思うのだけど、宮崎駿はどういったものを作っているのか、とても興味深かった。

このあたりは、僕が日記を書き続けようとしている意識と通じるところがある。というか、自分がそういう嗜好をもって取り組んでいるというのが正しい。



このほかにも、幼児期の体験であったり、仕事を始めた頃の順風に進んだ頃や、監督をはじめた頃の不遇の時期があったり、いまの宮崎駿の姿だけでは想像できないような歴史を知ることができた。
今回のポニョに無理やり結び付けようという気配もあったのはどうかと思ったけど。


この番組を見てからだと、映画の感想はああいう風にはかけなかったかもしれない。なんというか、苦労している姿を知ってしまうと、情が移ってしまうもので。正直「次回作を観たい」とはとてもいえないと思う(^_^;


でも、映画を観終わったときに感じた率直なものなので、そちらを書き残せてよかったと思う。僕自身、本当に、まだ次の作品をみたい。いまの方向性の先に何があるのか、その可能性をさらに見せてもらいたいと思ったのだった。残念ながら、同じこと(ないし、似たようなこと)をやる人(やれる人)は
そう簡単にはでてこないと思うし。

宮崎駿、偉大です。