中田英寿の旅

先日放送された中田の特別番組、録画しておいたものをみた。

いままで見たことがあった中田の特集とは、また少しちがった感想をもった。それは、中田自身に対するものというよりは、自分自身の受け止め方が変わったというほうが近い気がする。

中田は、そんなに変わっていない気がする。番組の中では、節目ごとに「中田が変わった」というナレーションが入っていた。実際、そうした場面ごとに何かしらのきっかけをつかんで、次のステップに入っていったという変化はあったのだろうと思う。ただ、その根底となる中田の人間性とか人柄というのは、変化したというよりは「素が表立ってきた」とか「純度が増した」といった印象だった。


そうしたなかで、特に印象に残ったこと。


・メジャー
 さまざまな国を訪れるたびに、中田を知っている外国人がたくさんでてくる。握手、サイン、写真を求めてくる。引退して2年も経つというのに、これだけ知られているというのはちょっと驚いた。
 と同時に、ここまでいってしまうと、プライベートってどういうものになるのだろう、と気になった。どこにいっても自分のことを知っている人がいるというのは、ちょっと想像がつかない。
 意外だったのは、中田はこうした状況をきちんと受け止めているようだったこと。日本に報道されていた中田の印象が、僕の記憶にもいくらかは残っていたので、あんな風に自然に応対する姿に感心した。


・武器
 中田自身もいっていたけど、サッカーという限りなく強烈な武器を持っている。プロフェッショナルという立場を経験したことも大きい。そのほかにも、語学や普通に考える力も卓越していると思う。
 こういうはっきりとわかりやすい形のものがあって、具体的に効果を感じ取れるように経験を積んでいる。また、それによって武器に対する信頼がさらに高まっていく。そういう好循環をまわせている。
 

・平常心
 中田の言動をみていると、揺らいでいる様子をほとんど感じない。ミラジョボビッチのような有名人にあっても、独特の文化を持つ民族の中に混じっても、ルワンダの虐殺で残されたたくさんの遺骨を前にしても。
 それは、情が薄いとかそういうことではなく、現実をありようのままに見て、受け止めることができる体勢をもてているからなんじゃないかと思う。きっと、プロとしてこれまでに受けてきた「持ち上げ」と「叩き」なんかを通じて、そうした精神の持ち方を身につけることができたんじゃないかと思う。
 感情と理性をバランスさせ続ける能力が強烈に高い、というのが近い気がする。


・スタンス
 「自分がそうしたいからやる」という言葉を筆頭に、何事も自分で考え、行動する姿勢がすごく強い。一方で、世間の風潮や(当てになるかどうかわからない)マスコミから見聞きする話を鵜呑みにせず、「彼らは何をしたら喜ぶのか」という視点で物事を見ることができる。
 

他にも、考える力や行動力、あるいは一般人と同じような感覚をもっていることなど、いろいろとあらためて思うこともあった。そして、それらすべてを通じて、いろいろなことを考えさせられた。




僕は、中田についての日記を何回か書いている。番組をみはじめたときは、「今回は書かないかな」と一瞬思ったのだけど、結局書いた(^_^;

中田の姿を観るといちばん感じることは何か。それは「スケール」。
たぶん、すごくたくさんの人が憧れるような人生や生き方を実践している。少なくとも、僕が中田の何かがあったときに注目したくなってしまう理由の大きなものだと思っている。

でも、この「スケール」を感じるたびに、その都度「自分はどうなんだろう」と思わされてしまうというのもある。中田は、ひとつの分野で世界のトップに立ったり、たくさんの国々をまわって僕が自分が目にしたことのないようなことをどんどんと吸収している。
比較するものではないとは思いつつも、どうしてもどこかで、そんな印象を持ってしまう。


ただ、今回はちょっとだけちがった。そういう風に感じてしまうのは番組を見る前からわかっていたので、いつもより意識的に「この番組から、中田の姿から何が学べるか」という感覚を強めて見るようにした。その結果、冒頭に触れたように、少しばかり違った受け止め方ができたことにつながった気がする。


それは、見終わったあとの感覚にあらわれたと思っている。「中田はすごいなー」という感想よりも、「さて、どうしようか」という気持のほうが強かったから。こうして日記を書こうと思ったこともそうだし、いま目の前にある仕事やプライベートで取り組んでいること。これらをまず進めていこう、と。
ここに書いた文ではうまく伝えられていないかもしれないのですけど、文章に表れているよりももう少し「押しの力」のある受け止め方をしています。


この日記は、見終わってすぐに書き出しているので、なんともまとまっていない感じもあるし、書ききれていない感じも残っています。時間が経過して、そのあたりについて触れなおしたいと思ったら、またそのときに書きます。