僕はいったい誰なんだ・・・?


先日、郵便局にて本人確認関係でいろいろと面倒な目にあった。

ということで、本人確認するなら、利用者にとっても運用者にとってももっといい方法があるんじゃないかと思い、いろいろ考えてみた。


が、考えてみると、意外と難しいということに気づき始めた。当初は、DELLの保証書管理的なところを拠りどころに発想を膨らませていこうと思ったのだけど、これだと本人確認という要件をの一部分しか満たされない等々の問題がわかってきた。


で、そうこうするうちに、もう少しおおきな話からひっかかるようになっていった。



■証拠として行き着くものは・・・?
 先日の郵便局では、保険証を身分証明として利用した。他にも、免許証やパスポートでも良いとの記述もあった。しかし、携帯電話の契約を思い出してみると、これにプラスアルファ(自住所宛の公共系支払の郵便物等々)をもっていかないといけない。

 もう少し考えてみると、保険証って、なんで身分証明書になるのだろうか? それは、保険者が身分を保証するから。では、保険者は何をもって被保険者を保証するのか? これをいろいろと繰り返していくとどうなるか・・・・。

 おそらく「戸籍」に行き着くんじゃないかと思う。戸籍をつくるときは、戸籍を再帰的に参照していくことになりそうな気がするので。
 ということで、身分証明を必要とするときは、最終的に「戸籍」を示す証拠をもっていけば、本人確認に伴うあらゆる手続きを通過できるということになりそうな気がする。
 ということで、ひとまず「戸籍は証拠の終着点」だと仮定する。

 
■戸籍で保証できるのか・・・?
 そもそも戸籍とは何か?
 辞書的な意味合いはおいておいて、僕のイメージを書いてみると「(国における)所属を保証するもの」という感じ。国籍とか居住とか属性形態はひとまず気にせず、「とある時点において、この国にこの人はいますよ」という保証をするもの。
 だから、身分証明としての有効性が最も大きい。

 しかし。戸籍は、本人確認の要件を満たしきれていない。というのは、戸籍は「こういう人がこの国に存在しますよ」という証明ではあるけれども、「今目の前にいるこの人のことですよ」ということは証明できない。
 人としての実体と、証拠としての記録を結びつける情報をもっていない。ということで、戸籍だけでは本人確認を終わらせられない(はず)。


■戸籍と本人を結びつけるものは何か・・・?
 人は誰しも、生まれてくることではじめて戸籍に登録される。ということは、生まれてから戸籍に登録されるまでの間、その人は「身分証明」される証拠がない、といえるかもしれない。
 でも、おそらく現実ではそうはならない。それはなぜか?

 それは、「当人の縁故者が保証する」ことで、まわりも当人の身分証明として受け止めるようになっているからだと思う。これは、戸籍に登録をするときも同じで、縁故者(相当の人物)の保証があるから戸籍への登録が行えるのだと思う(縁故者がいない子供がいた場合でも、行政上の選定者(か、行政そのもの)が代替者となるんじゃないかと思う。この辺、調べてないので適当)。

 ということは、戸籍と実体を結びつけることを保証するのは、当事者とそれ以外の人々との「関係性」なのではないかと。

 歴史上はじめて戸籍を作成したときなんて、すべての登録者は「登録を取り仕切る人物を皮切りに、関係性を持っている人をたどってつながりを保証することで、保証された戸籍上方として登録された」といった感じだったんじゃないだろうか。

 ※ちなみに、日本ではじめて戸籍がつくられたのは、飛鳥時代の頃らしい。現在の戸籍制度になったのは昭和に入ってからのようですが。ここまで書いて調べてみたら意外と歴史があって驚いた(^_^;


■「本人」ってなんだ・・・?
 本人確認を保証するものは「戸籍」であり「関係性」であるという仮定に落ち着いた。
 とすると、「本人」という実体って、なんなんだろう?
 
 「我思う、ゆえに我あり」的な話になっていくのだろうか。

 今ここに存在する「僕」が「僕」であることは、僕自身ではを保証することができないのだろうか?
 とすれば・・・。


 僕はいったい誰なんだ・・・?




という話になっていって、いろいろと難しいなぁ、と思ったのでした。本人確認の話からは脱線して言った感じですけど・・・(^_^;



で、いちおう本人確認の話にもどって簡単にまとめておきます。

・本人確認を保証するには、「存在証明」と「実体証明」が必要。

・とはいえ、後者はかなり難しい。実際、現実の場で運用されているのは、ほとんど「存在証明」。実体証明をするときの手段も限られていて「記録保持(パスワード等含む)」「生体識別」くらいしかない。

・しかし、本来の「実体証明」は、「関係性の保証」によって担保されるのが正しいのではないか。はじめて戸籍をつくった(として勝手に想像した)ときのイメージのように。

・この「関係性の保証」はネットの仕組みと相性が良さそうな気がする。
 「村的クローズドネットワーク」「1実体、複数仮想体」
 といったイメージは、すでに部分的にサービス化されている感じもあり、洗練され発展向上していくなかで、近いシステムをつくりあげられるのでは。

といったことを思った。


ただ、けっこう「そもそも論」のあたりも大事だとも思っている。

・そもそも、何のために本人確認をする必要があるのか?
 ⇒たとえば
  +犯罪被害の防止
   ・直接的な犯罪の実行を防止する(テロ関係の架空口座とか)
   ・直接的な犯罪の被害者となることを防止する(詐欺関係とか)
   ・間接的な犯罪被害者となることを防止する(本人に被害はないけど、勝手に犯罪用に口座名義を使われたとか)
   ・・・
  +運用の精度向上
   ・申請内容の誤り防止
   ・申請受領後の運用誤りの防止
   ・・・
  +・・・
  といった感じでしょうか。
  

・その目的のために「本人確認の実施」を適用させるべきものと、そうでないものの区別は何か?
 そのためには、何をすればいいか。
 ⇒ いずれも、各目的に応じて、適切な対応があると思います。
   今は、この分類がなく、本人確認のための手続きが一律化していることで、過剰に手間がかかっていたり、本来必要な確認が行いきれていなかったりしていると思います。



と、いろいろと書いてしまいましたが。現実問題、適性に本人確認を行うことは難しいと思います。だからこそ、本当に必要なところに必要なだけ手間をかけて、それ以外はシンプルに済ませるという運用の仕組みをつくらないと、利用するほうも運用するほうも大変になってしまうと思うのです。


そして、もう少し大きな視点で、「そもそも、そんなことを気にしなければならないような犯罪を犯す人がでてこない(そういう人がいたとしても、まわりがとめられる)ような社会をつくっていく」ことが、いちばん目指すべきことのようにも思います。


ここでは書いているだけなので簡単で、実際にやるのはとても難しいと思います。が、そちらを向いていかないと、これから何十年も生きていくのに幸せな暮らしができるとはいいがたい世の中になってしまうように思います。


僕自身も、まわりの人々も、これから生まれてくる人々も、みんな(少なからず嫌なことがあるにしても、致命的な悪事がおきることなく)幸せに暮らせる世の中であって欲しい。


「そういう世の中にします」というには、まだちょっと勇気が足りないので、こんな感じで(^_^;