ひとのからだ

先日、とある知り合いがやった舞台を観にいった。

舞台といっても、小劇場。客席も50席くらいの会場。


でも、ちょっと驚いた。ほぼ満員だったから。
僕はほとんど小劇場に観にいくようなことは無い。そんな状況だったので、先入観として「空席が多い」ようなイメージを持っていた。座席数も、もうちょっと少ないくらいの会場かと思っていたり。



というのも、その知り合いは今回の舞台の作・演出を担当していたのだけど、なにせその役割ははじめてだときいていたから。2ヶ月くらい前に舞台をやるときいたときも、「まだ台本も役者も決まっていない」という風にきいていたので。1ヶ月くらい前にあったときは、けっこうしっかりした案内をもらったので、思ったより気合は入っていると思った。
でも、そうはいっても厳しいだろうなぁとも感じていた。引いていたわけではなくて、自分が同じ立場にあったとして想像したときに、どれくらいのことができるのか、というのを想像していたのだった。とすると、客の入りやら作品の出来やらは・・・、と。


で、いってみたら満員だった。ということで、いきなり面食らったのだった。


作品については、評価するのが難しい。
僕自身、有名どころがやっているような舞台を何度か見たことがあるだけ。かといって、これを相手に比較してしまうのは、対象がそもそも違う気がする。そして、今回がはじめて手がけたものであるとか、人柄とか、作品以外の情報が頭に入っているので、評価の視点もぶれる気がする。
ちょっと話がそれてしまったのだけど、第三者として作品を観れないとき、正当に評価することの難しさを感じてしまった。これ、仕事でも同じ気がする。



で、話を戻して。
作品の相対的な評価はできないけど、ひとつ思ったことがある。それは、作品にこめられたものが「作者自身が抱えているものだった」ということ。だから、伝わってくるものがあるのだ。僕の場合、年代が近いとか、嗜好が似ていることとか、そういう意味でも「ぐっ」とくるものがあった。


今回の作品であれば
 ・小さな頃に抱いていた夢と違う姿の自分への蔑み。特に、それを受け入れ甘んじていることに。
 ・でも、それは社会の現実のなかで生きてきた結果であり、それによって自分や関係する人々を支えているという事実もある。
 ・そんな中でも、まわりにバカにされてしまいかねないような夢をどこかに持っている。捨て切れていないものがある。
 ・そういうことに取り組むのは、とても怖い。でも、怖い中を突っ走り、頑張ったことで、ひとつの正解を生み出すことができる。
 ・そうして導き出した正解は、人にどうこう言われようと、自分にとって大切な答え。
 ・だから、それを手に入れるよう、自分を信じ、まわりに惑わされずに、突っ走る。
といったことでしょうか。


僕の印象としては、このあたりに対して、作品からの答えははっきりとはでてなかったように思う。ただ、それも含めて「作者自身がこめられたもの」と感じた。それは、本人も今まさに迷い、苦しみ、もがき、なんとか光を見つけようと戦っているからだと思う。でも、そこには、いろんな楽しみや面白みを見つけ味わいながら、という姿勢を感じた。



いろいろと書きましたが、今回の作品は彼にとってはじめてのもの。そういうあたりは汲み取っての評価であることは確か。でも、はじめてでここまで頑張ったんだな、と感じるものだった。


舞台終わりに出口付近で本人と会って少し話をした。この日記で書いたようなことを伝えておいた。本人にはどう受け止められたのかはわからないけど、僕が伝えられることを伝えることはできたと思う。




正直、今回やったことを踏まえると、次回以降には彼の得意とするあたりがもっと活きる作品ができてくるんじゃないかと期待している。まあ、過度にプレッシャーをかける気はないですけど、いろいろと見せてもらいたいと思います。