能力

今日、会話の中で「能力」についての話があった。

世間では「努力すればなんとかなる」という言葉がよくきかれるけど、そればかりではないものもある、という。


帰ってから、この話を振り返っていて、思い出したことが3つあった。

ひとつは、中田英寿村上龍の対談。
「努力するのは当たり前」という会話。
努力というとストイックな雰囲気を感じやすいのだけど、普通のことなのだそうだ。「努力する才能」と表現していたような気もする。

もうひとつは、「賭博黙示録カイジ」という漫画。
「負け続けの人生だったら、野茂はウスノロ、羽生は根暗、イチローはいけすかないマイペース野郎」というセリフ。

3つめは、「自虐の詩」という映画(原作はマンガらしい)。
作品のなかで「(主人公は)ヤクザの才能しかない」(正確な表現は忘れた)といったセリフ。


いわゆる努力ではたどりつかない「才能」がある。それは、表出するシチュエーション(あるいは評価される視点)が異なると、まったく逆の受け止められ方にもなりうる。さらに、与えられた才能は、必ずしも「世間的に」好意的に受け止められない(受け止められにくい)ものがあるかもしれない。


実際のところどうなのかというのは、いまの僕ではわからなかった。もうちょっと実態に近い表現で言うと、受け止められる土壌をもててない、といった方がいいのかもしれない。
現実感でいってしまえば、限度があると意識的にも無意識にも頭にこびりついている。むしろ、自分が凡人であることをきちんと受け止めて、その上で「自分にあるものは何か」を知ろうという感覚でもある。
でも、心のどこかで、やっぱり「いや、まだまだ」「ひょっとしたら」という気持ちがひっかかっている、という。かといって、無邪気にそれを信じているわけでもない。

自分自身について、うまくできない・苦手と感じる物事について思うところがある。整理整頓、会話、計画、等々。
でも、自分がそう思うからといって、気をつけないといけないのもある。それは「サボっていることの言い訳にしない」ということ。それを超えた部分もあって、それについては受け入れることが大事なのだと思う。



それと、実はけっこう気をつけなければならないのは、相手と接するときの意識。
 ・努力とは別の部分について認知する
 ・才能がある部分を見出し、育む
 ・見出された特性を組み合わせて活かす

正直、意識はしてなくもないのだけど、あまりうまくできてない。


なんか、けっこう時間をかけたわりに、なんともいえない内容になったな。

日記を書くにあたっての気持ちを整理しなおすと。
思っていたのは「才能と努力って、どちらもある。しかも、相手の受け止められ方で真逆の印象になりうる。そのなかで、どうやってうまくやっていくかが大切」「とはいえ、そう簡単にすっきりと理解して実行するのも難しそう」ということでした。だから、考える。で、やってみる。
そして、少なくとも自分自身にとって(願わくば、関わってくれる人々にとっても)必要なだけの「考え、行動する力の才能と努力」をもてる人になりたい(でありたい)、と思った。

いざ書き表そうと思うと難しい、このテーマ。
しばらくしたら、またあらためて書いてみるかな。