映画100本

今年、映画を100本鑑賞した。
(といっても、DVDとテレビ(合わせて20本ちょっと)を含んでいます)

僕は、5年くらい前までは、映画館にいかなかった。テレビはよく観ていたけど、映画にはあまり惹かれることがなかった。ふと、知り合いに連れて行かれてから、足が向かうようになったのだけど、年に20本も観てなかったと思う。
しかし。自分の中で興味が膨らんでいったのと、いろいろと学んだことがあったり、知り合いが増えたりしていく中で、「もっと観てみようか」と思うようになったのです。

年に100本観ている人は、世の中にはけっこういると思います(500本観たという逸話をきいたこともあったり)。
でも、自分にとっては、なかなか大変だと思ったし、実際に苦労した(^_^;


ま、そんなこんなについて、いまあらためて振り返ってみることにしました。
で、気づいたことを整理してみます。



■なんとなく無理目に決めた
 映画をたくさん観みることにしよう。そう思ったのが5月20日頃。
 ただ、目的や目標については、あまりはっきりした意図はなかった。映画についてもっと知りたいと思ったことや、映画から得られる何かが欲しかったこととか、いくつか思い浮かぶものもある。でも、これ、といったものは、実はなかった。ただ、とりあえず決めた、という感じがある。
 で、「年内に、100本観る」と設定した。この時点で観ていたのは10本ちょっと。 
 ずいぶん前、ML等で批評をしている人が「年間50〜100本鑑賞している」というのを知って、「そんなに見るものなんだ」と驚いたことがあった。なので、これを基準にしてみた。
 でも、そうはいっても「まあ、100本はきついから、実際は50本くらいになってしまうかな」という感覚もあった。50本でも、まあ、いつもからすればずいぶん観ているし。
 そんな感覚で決めたら、意外とやる気になった。


■スタートダッシュがきいた
 決めてからは、意外なほど動いた。5月は残り10日間で9本、6月は18本。
 平日、仕事帰りにいく回数も増え、しかも少し足を伸ばすようになった。通勤経路にある映画館だけではネタ切れになることもあり、2回乗り換えて着く駅(時間は30分くらいだけど)とか、今までは帰りに寄らなかったところにも足を伸ばすようになったり。
 たぶん、100本に設定してなかったらここまでは行かなかった気がする。


■欲がでてきた
 決めた当初は「お金もかかるから、テレビとDVDをうまく使おう」と思っていた。でも、どうせならできるだけ映画館で観るようにしよう、と方針を変えた。やっぱり、映画館で観た方が面白い。スクリーンや音響。映画に集中しやすいのもいい。何より「映画館でたくさんみた」という方が、なんか価値があるような気がしたのも大きい。
 あと、どうせ観るのなら、面白いもの・いいものを観よう、と思った。全部名作というわけにはいかないだろうけど、観てよかったと思えるものがほとんどになるように。
 

■うまくなってきた
 本数をこなすのに重要だったのは、一日に複数本を観られるようになったこと。以前も「一日に3本」とか観たことはあったけど、今は「普通」になった。何年か前に「はじめて1日で2本観たとき」と比べると、ぜんぜん楽になった。間隔を詰めることもできるようになってきて、スケジュールも立てやすくなったり。
 あと、作品の記憶も変わってきた。以前は、自分が観た映画について、けっこうあっさりと記憶が薄れてしまうことが多かった。すごい断片的な記憶になったり(覚えている作品もあるけど少ない)。
今は、その頃に比べると、ストーリーやシーンに関する記憶が残っている(そうはいっても、まだまだざっくりと覚えているだけなので、もっと鮮明に記憶に残るようになりたい)。
 どちらも意識してやっていたのもあるので、「慣れ」と「コツ」が身についたのかもしれない。


■選択するようになった
 「毎月10本以上」のペースで観るとなると、意外としんどい。基本は休日に観ることになるので、1日2本としても休日の半分は映画館。となると、今までとは少し過ごし方が変わってくる。続けるもの・減らすもの。わかりやすかったのはテレビ鑑賞で、「ドラマ・情報系は減少」「お笑いは継続」。なんとなくでかける、というのも減った(あまりきっちりと生活していない方なので、こういう過ごし方もよくある(^_^;)。読書は継続。習い事(研修やセミナー)は減った。仕事は・・・微妙(^_^;
 作品の分野も偏らないように、というか、分野で選ばないように。面白い(評判がある)かどうかを基準とするようにして、選り好みは抑えるようにした(とはいえ、観たいと思えないものは、観なかった)。


■波があっても超えられた
 1ヶ月に11本ずつ観ていけばよかったのだけど、なかなかそうはいかない。
 ひとつは、だれてしまう時期があること。今回は、8月(3ヶ月目くらい)。最初に飛ばして稼いでいた安心感と、なんとなくほかの事に目移りすることがあったり。嫌になるわけではないのだけど、ちょっと距離を置いてしまうときがある。
 もうひとつは、時間がとりにくくなること。わかりやすいのは、仕事が忙しい時期。顕著だったのは10月で、残業が多かった(しかも、金曜が特に遅くなりやすかった)。休日の過ごし方に直接的に影響して、4本の鑑賞にとどまった。しかも、これ以外の活動も、たいしてできなかった。
 ただ、いずれも「そういうときがあるものだ」と思って過ごすと、意外となんとかなる。この後に挽回しよう、という気持ちがでてくる気がする。
 ※ただ、後者については、映画以前の問題で、QOL的によろしくない。仕事の取り組み自体は工夫していかないと。


■傾向がみえてきた
 観る作品は偏らないようにしつつも、観たあとの感想を振りかえると、自分の好みの傾向は見えてくる。「小難しくない」「ハッピーエンドかちょっとほろ苦い感じ」「オーソドックスかつオリジナリティー」とか。まだ輪郭が見えるほどにはわかっていないのですが、感覚レベルでは「好き度合い」の理解が深まった気がする。
 あと、作品の内容や登場人物から、自分自身に対する傾向も見えてくるものもある。「ジェイソン・ボーン」シリーズなんかは、そういった一例。「役割を遂行できる能力」「鋭い思考」「場を変えるユーモア」「弱さに正直になれる姿勢」は自分に取り入れたいもの。一方で「(信長的な)豪胆さ」とか、自分が手にするものとしてはあまり惹かれない要素も見えてきたり。


■「自分なり」をおさえられるようになってきた
 評価や感想について、自分が主体となったもので見られる度合いが高くなった気がする。
 前は、なんだかんだで、まわり(製作者、識者、世間等々)の評判に引っ張られるところがあった気がする。「すごい人」という前提があると、自分は違う感想をもっても、自分の感覚がちがうんじゃないか、と思ったり。
 いまは、もう少し「自分はこう思った」という意味や価値を持てるようになってきた。「一般人の感想」はエンターテイメントにとって、とても大事だとわかってきたこと。と、「映画に対する理解」「自分なりに解釈するチカラ」が深まってきたこと。



ま、こんな感じです。
後付で整理しているので、実際よりきれいに仕上げてしまっているかもしれません。

今回、「なんとなく決めた」というところからはじめました。
「なんとなく」というと適当な感じがあるけど、いろいろと思い考えてきた中で浮かんできたものであれば、それは案外正しい。そう思えるようになってきた。
僕自身は「いろいろ考えるけど、なかなか行動に移ら(れ)ない」タイプ。そういう人は、頭の中ではいろいろと溜まっているはずなので、こぼれてきたものは信頼していいことが多いと思いました。
目的とか、はっきりしていたほうがいいのでしょうけど、人によってはそれがブレーキになるケースもありそうな気がします。なので、とりあえずやってみる。
と書きつつ、「これって、逃げかな・・・」といった言葉が頭をよぎったりもしますが(^_^;
いや。こういうのも大事。「逃げ」と感じない取り組み方と、どちらもできるのが大切。


いずれにしても、それなりに満足する出来事だったので、よかったよかった。
そして、なんで映画が対象になったのか。もうしばらく考えていきたいことでもあります。


いや、それにしても、えらい長くなったな、これ(^_^;
読んでもらえるのでしょーか・・・?